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『大日経』の猫心について
人の心は常に変化しています。

自分のことしか考えない時があり、

みんなに優しく仲良く、

さらには、

自分はどうでもいいから他人を助けたい、

と思うこともあります。

純粋に他人のため、

と考えるときもあれば、

そうすることで、

何らかの報酬功徳を期待する心もあります。

その中で、

根本的なおろかさ・迷いの心があります。

これは、有るとか無いとかを固定すること、

縁起の法則を理解しないことです。

その「おろかさ」が、いろいろな状況で分かれて展開し、

貪り、怒り、愚痴、慢心、疑心などを生み、

数限りない迷いの心を生み出します。

『大日経』住心品では、

その迷いの心を六十に分類しています。

最初が貪心。

ここから全ての苦しみ迷い悩み煩悩が発展します。


六十心(迷いの心)には、いくつかの種類があります。

・根本的な煩悩が現れた心(闇心、争心、慳心など)、

・善心のように見えながら邪見にとらわれた心(慈心、智心、明心など)

・習性に喩えた心(天心、龍心、女心など)

・生き物の習性に喩えた心(狗心、鼠心、烏心など)

・自然・風物の性質に喩えた心(河心、井心、水心など)

・工作されたものの性質に喩えた心(室心、械心、剃刀心など)


さて、

この中に猫心(または狸心)があります。

 サンスクリットではमार्जालः mārjāra-cittaとあり、

cittaは心のこと。

mārjāraは『梵和大辞典』(山喜房)を引くと、

・ねこ
・いたちの一種
・漢訳では猫狸

とあります。

このmārjāra-cittを

漢訳の『大日経疏』では狸心、

『大日経義釈』では猫狸心、

『西蔵伝大日経住心品和訳』では猫心、

としています。

『仏教語大辞典』(東京書籍)では、

狸心(りしん)と項目をあげ、

「猫や狸が獲物を捕らえるのに、息をひそめて近接し、

 ここぞというとき、すばやくとらえるように、

 いろいろ教説を聞いても、少しも実行せず、縁をまって初めて行じようと願う心」

としています。 
  

『大日経』の漢訳とチベット訳でも、表現が違います。

「云何が狸心なりや、謂く徐進の法に順修す」

猫狸のかく禽鳥を伺い捕うるに、息を屏して静かに住し、務て速に進まず、
度内に至るに望んで、然して後に之を取るが如く、此の心も亦爾り。
偶々種々の法要を聞き、但し作心して領受し記持すれども、而も進行せず。
良縁の会合を待つて、則ち当に勇健に励んで、之を行ずべしと翼う。
又猫狸の種々の慈育を蒙れども、亦恩分を識らざるが如く、
若し人但し他の慈慧善言を受くれども、而も報を念ぜざるは、是を狸心なり。
時処を待たずして、聞くすなわが如く輻ち行じ、常に恩徳を念ずるを以て、所対治とす。


猫心とは何かと云はば、

凡そ供物を見て親近することなり。
猫の如き心にして、猫等は(獲物)をとる時、躍り上つてとりて、
同じくこの心もまた、聖道等を得るときは入の時より転昇することにして、
この次第を以て転昇するなり

などとあります。

宮坂先生の訳(『大日経』東京美術)では、

「いかなるものが狸心なる  おもむろにして獲物捕る」

とあり、

その説明は、

狸や猫のようにそのときを窺っているが、進んで積極的に修行することをしない。

真言の実践者は、時と場所をいつまでも考慮することなく、見聞に従って直ちに実践し、

恩の恵に報いなければならない。

とあります。


猫(狸)心が良いとか悪いとかではなく、

そのような心の姿をよくよく観察することが重要です。


猫心をはじめとして、六十心をどのようにとらえ、

それをどうすれば悟りにつながるのか、

については次回に書きます。




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[ 2019/09/27 15:16 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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