忍者ブログ


あるがままの状態をイメージする
仏教、特に密教の基本修行である、

三摩地、禅定、三昧とは、

あるがままの状態をイメージすることです。 

密教は、

・如来蔵(タターガタ・ガルバ:tathāgata-garbha)

 すべての衆生の中に自性清浄な如来法身が蔵されている。

・本覚

心は本来、仏のさとりの性をそなえている。

という立場なので、

密教の成仏とは、あるがままの状態になる、

と考えて良いでしょう。

成仏の仏とは、大日如来のこと。

大日如来は一切であり、一切の中にあるものなので、

無差別無執著無染の状態。

全てが大日と云ってよいのですが、

特に、

梵字の阿字、蓮華、月、卒塔婆、金剛杵などを大日の象徴と観想します。

バラの包み紙を見れば高島屋を連想するようなものです。

『秘蔵記』29には、

「卒塔婆は鑁の一字の所成なり。また阿卑囉吽剱の五字の所成なり。
 一一を取るに任せて、
 自性清浄心とも、真如とも、仏性とも、如来蔵とも、法性とも観ずべし」

とあります。


あるがまま、というのは、

現在のそのまんまではなく、

大日である自分、本来の迷う前、垢がつく前、のあるがままです。

本当は良い子なんだけれど、

つい、憎まれ口をきき、イタズラやイジワルをしてしまう、

なぜ、素直になれないのだろう、

そんな感じかな。


2020年 年間祈祷のご案内






PR


[ 2019/12/13 08:04 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

コメントを投稿する






<< 廃炉データ抄  |  ホーム  |  仏典にみる痔 >>