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住職になって感じたこと
サラリマーン家庭に生まれ、

自分も大学卒業後、サラリーマンになり、

退職して高野山へ上り、

高野山真言宗という宗派の僧になりました。

平成2年のことです。

その後、ウロウロ、ボヤボヤしているうち57歳になり、

最近、地方の住職になりました。

まだ、いろいろ調っていないため、寺に常駐していませんが、

事務的なこと、檀信徒のこと、地域のことなどの用事を、

僕なりにこなしています。

在家の時、

坊主だけれど寺に住まない時、

そういう立場が長かったので、お寺を見る時に、

業界内の視点とはちょっと違うようです。


そこで感じるのは、

日本のお坊さんは、儀式には詳しいけれど、

仏教のことは、あまり知らないのだなあ、

ということ。

地域差はありますが、周囲からも求められていないみたい。

経典や祖師撰述の書物も、意外と読んでいない。


それから、

巡礼などでお参りしても、

拝んでいないお堂、埃をかぶったままの仏具を見かけることが多い。

建物を立派にすることは関心があっても、

その中で拝む、修法することには、あまり興味をお持ちでない人が少なくない。

高価なものなのに、使わないのはもったいないなあ。


なぜ、そうなのか、

多くのお寺は先祖供養(葬儀、法事など)のためにあるから、

それで良いのでしょうね。

仏教についての知識体験は、

仏法には必須だけれど、

孝行である先祖供養には無くても良いことだから。



基礎研究をしている研究所や科学者が、

経済的に困っている話を聞きますが、

それと同じで、

人格の完成、成仏、成菩提などを目的とする仏法は、お金と縁が薄い。

だから、

先祖供養で収入を得る、

というしくみを、先人たちが作ってくれました。

経済的な追求と

真理の探究

という別次元のことです。

修行や勉強の時間を割いて、

先祖供養で得たお金で、寺を維持管理する。

かように、

仏教(仏法)と先祖供養は別なものなのに、

どうも、仏法と先祖供養を関連付けようとする風潮があります。

そんなことは必要ないのに。



そんなわけで、

僕が見る限り、

全部ではないけれど、

多くのお寺に、先祖供養はあるけれど、仏教は無い。

仏教が無い、

というのは、修行している人、経典を勉強している人がいない

ということ。

もしかしたら、

すでに修行を完成して皆、悟っているのだろうか。



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[ 2019/08/07 18:13 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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