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信仰の構造
仏教で信仰の対象とするものは、

1、因果の法則

善い行いに対し幸福な結果があり、

悪い行いに対しては不幸な結果がある、

という因果応報。

偶然というものは無く、それは原因を知らないだけ。

因果の道理を信じることは、
 
成仏への手段であり、いつか無我を知り、一切を悟ります。


2、苦集滅道の四諦

人生は思い通りにならない苦であると現実を認識し、

執著から生じる現実苦が現れる経緯を観察し、

正しい勉強と心のトレーニングによってそれを滅する。


3、仏法僧の三宝

法宝と僧宝は仏宝に集約されます。

仏宝の基本は五部法身。

戒・定・慧・解脱・解脱知見の五つで、

戒を保つことで禅定(心を静かにまとめ集中する)ができ、

禅定によって智慧が生じ、

智慧によって苦から解脱し、

自分が解脱したこと自覚を得ます。

現実世界を迷い執著抜きで、ありのままに見る智慧を得る、

それが仏に成る、ということです。

自心中にそういう仏があることを信じる。


仏(ブッダ)は、

どこか他の世界から来るのでもなく、

どこか遠い世界に住んでいるのでもない。

修行の結果、到達した境地を仏(ブッダ)と云います。

ですから、だれでも仏(ブッダ)になれます。


首位打者もホームラン王も、

最初から決まっているのではなく、

工夫精進練習してなれるように。


上記のように、

仏教における信仰の対象は実在性のあるもので、

しかも自分で確認できるものです。

そうでなければ、妄信妄想。

なぜ生まれてきたのか、

人生の意味、

なども自心を知ることで確認できます。

縁起、空、無我によって自分や他の存在が確認され、

存在と実体の区別ができ、

本性清浄が確認できます。


『釈論』には、信の十義があります。

澄浄・決定・歓喜・無厭・随喜・尊重・随順・讃歎・不壊・愛楽

の十ですが、

田中千秋先生の『三昧耶戒序の理解』には、

「たとえば澄浄とはまじり気がないということであり、

 歓喜とは憂いや心配がないということである。

 信心するとその人の心はまじり気なく澄み、

 くよくよと心配ばかりということがない。

 乃至人の善行をみて喜び、徳者をみては尊重するなど。

 十義の中で一番重要なのは澄浄である。この中に他の九義は含まれる。

 では、何を信じるのか。何を無条件にうけいれるのかというと、

 修道の目標と修道法である」

とあります。


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[ 2019/11/06 11:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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