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兎に角
タケノコの味噌汁が残っていたので、

ジャガイモと人参を足して煮たら

筍の煮物も余っているよ、

と母が言うのでそれも加える。

そして、カレーラーメン



 

それはさておき、 

とにかくナントカしなければならない、

というようなことがあるけれど、

とにかくはanywayであり、「兎に角」と当て字する。

漱石は、

兎角に人の世は住みにくい

と書いている。

しかし、

ウサギにツノは無い。

これは
「言葉は妄想であって、兎角亀毛のようなものである。」(『楞伽経』)

「(迷っている)人間は兎角亀毛のごときものである。」(『毘婆沙論』

など、空の説明としてある。

カメの毛も無い。


『中論』にある、

「もしも存在が成立しないならば、非存在も成立しない。

何となれば、存在が変異したものが非存在であると、人々は語るからである」

というのがウサギのツノのこと。

そんなものは元々存在しないから、非存在とは云わない。

そして、

存在と非存在を見る人は、仏の教えにおける真実(空)を見ることがない。

存在とか非存在とか

有るとか無いとか、

どちらにも執著しないこと。


お大師さんの『三教指帰』では、

『兎角公』という人の家に、儒学者の亀毛先生が訪れ、

忠孝と立身出世の道を説く。


ウサギのツノや亀の毛は実際には無いから、

それが生まれたり滅することはない。

不生不滅なのは、自らの性(本性)が無いから。

一切のものも同じである。

現実に見えるのは因縁によって仮に生じて、仮に滅している。

密教では、

本不生と云い、

これを覚ることが目的である。


『菩提心論』には、

(自らの性が無いという)その真相を覚れば、根本の迷いが悉く除かれ、

枝末の妄法も悉く滅する。

これらの妄法は心の上に現れた一時の幻影に過ぎないので、

(因縁より生じたものだから)自らの性あるものでは無い。

とある。

とにかく、

そういうことである。



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[ 2018/06/01 11:18 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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