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分析的な瞑想
やみくもに瞑想しても、ただ時間が過ぎるだけです。

瞑想によって心はどうなるのか、

心の動きを分析しなければ、

錯覚や妄想になるかもしれません。

真言を唱えるのも、ひとつの瞑想法ですが、

やみくもに唱えるだけなら、

「コカコーラ」とか「牛丼」と唱えても同じです。


心を分析する時、

意見や感想ではなく、

論理的でなければなりません 。


密教の瞑想法で代表的なものに月輪観があります。

それは、満月を瞑想します。

心は満月のようである、

という前提のもとに瞑想しますが、

では、満月とはどのようなものか、それをよくよく観じます。

それは、心がそのようなものであるということになります。

円満で欠けるところがなく、

清浄清涼で光り輝くけれど、太陽のように眩しすぎない。

雲に隠れることがあっても、雲の向こうにあり、

新月で見えなくても、時間が立てば満月になる。

そのような特長が分かれば、

月と自分とを分けるのではなく、

月に坐り、月に成るように工夫します。


もっと根本的なこともあります。

初めて月を見る場合でも、

脳内に記憶されている月を思い出す場合でも、

まずは月という対象があり、

その色、形などを眼識が受け取ります。

その時の月は「現在」であり、無分別です。

さらに、

眼から意識へ伝わったとき、

過去や未来の月になり、自分なりに認識する、分別された月になります。

そして、

キレイとか美しいなどの感情が起こり、

それが心の種に薫習され、記憶されます。

心の蔵には、

そのような種が詰まっており、

中心は清浄なもののみ、つまり、それが自性清浄心=仏である、

と瞑想します。

同じように、

怒りや妬み、怨み、

楽しみ快楽についても、

心がどのように働いているかを瞑想します。

そして、

心とは何か、自分とは何かを探求します。


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[ 2019/07/23 08:03 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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