忍者ブログ


大金剛輪陀羅尼を考える
在家向けの勤行次第にも載っている大金剛輪陀羅尼。

真言宗ではポピュラーな陀羅尼(真言)です。

ちなみに、

陀羅尼と真言の区別は明確ではありません。

比較的長いのを陀羅尼と云う、

という解釈が一般的です。


これは、補欠分の真言と云われ、

『中院流の研究』には、

凡愚の修するところには誤謬が多いから、この真言を誦じて誤れるを正し足らざるを補う

と書かれています。

また、

一切の禁戒を具備し、違犯の咎を除くため

と『底利三昧耶経』中巻や『軍荼利軌』にあります。

大金剛とは金剛界曼荼羅のこと、

輪は、よくものをあつめ持つこと。

車輪の中央にあるハブ、ハブ空港のハブですね。

そして、

曼荼羅は心のハブであり、

元からある悟りの心です。


大金剛輪陀羅尼の内容は、

栂尾先生の訳では、

「塵垢を離れて無限に平等性に住し、

 堅固不壊なる大輪に住する求世の諸仏が、

 無限の光を以って有限の垢を除き破り、

 人をして勝上なる聞思修の三恵の成就に至らしめんことを」


人間のみならず、

草木や道具にいたるまで、みな輪円万徳の体となる

ということ。

そう観想すること。

中川先生は、

進んで自分の信念を堅固にするために、

唱えると『撮要』に書いています。

一切は清浄である、

それは自分の心の中にある、

つまり自心は曼荼羅である、

そんな感じかな。


『別行次第秘記』では、この陀羅尼の意味として、

曼荼羅に入って、
三世無障礙(四重禁戒・不応捨正法戒、不捨離菩提戒、不応慳悋正法戒、不応不利衆生行戒)
の三種の菩薩の律義(三聚浄戒・摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒)を受得し、
身心に十微塵世界の微塵数の三昧耶、無作の戒禁を備う。

或いは屈申し俯仰し発言し吐気するに因って、
心を起こし念を動じて菩提の心を廃忘し善根を退失すれども、
この印契密言の殊勝の方便を以って、誦持し作意すれば、
違犯の咎を除いて三昧耶ゆえの如くして、
ますます光顕にしてよく身口意を浄むるがゆえに、
即ち一切の曼荼羅に入って灌頂三昧耶を獲得す

とあります。

無作の戒禁を備う

というのが、ありがたい。


PR


[ 2019/10/11 07:31 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

コメントを投稿する






<< 疑うことの意味と価値  |  ホーム  |  一字金輪呪を考える >>