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思うか、思わないか
お姉ちゃんが弟に意地悪をして泣かせている。

どうしてそんなことをするんだ、

かわいそうじゃないか。

と叱っても、

かわいそうと思わないから、そうしているのでしょうね。

心は同時に複数のことができませんから、

イジワルする気持ちが、かわいそうと思う気持ちより強ければ、

そっちへ行きます。

そもそも、かわいそうという心がまだ未発達なのかもしれない。

とにかく、思うと思わないのとではずいぶんと違います。


肉体は現実にあります、これは事実。

しかし、肉体に限らず全てのものは生じては滅します。これも事実。

「私」は、現実にありません。

思えばあるけれど、思わなければ無い、心も同じです。

では、「私の肉体」はどうでしょう 。

これも、思えばありますが、思わなければ無いですね。

対象が無ければ、

それが美しいとか楽しいとか、可哀想とかを思うことはできませんが、

心が思わなければ対象も存在しない、と考えることもできます。

「私」や「私の肉体」がそうです。


最近は涼しくなりました。

でも、そう思っているだけで、涼しいと思わなければ涼しくない。

涼しくないと思っている人もいるでしょうし、

涼しさを定義する事もできません。


世界は、見え、聞こえ、匂いますが、それだけのことです。

 なのに、

思ったことに執著するから、苦しみ、迷い、悩みが生まれます。

思わなければ、そういうことも無い。

「私」が無いとなれば、

私は偉いとか、私はやれば出来る、ということもなく、

私はダメな人間だ、私は不幸だ、

もなく、錯覚に等しい。


『十住心論』第一に

「悪平等の者は未得を得と為し不同を同と為す。善差別の者は分満不二即離不謬なり。
 之に迷える者は薬を以て命を夭し、之に達する者は薬に因って仙を得」

とあるように、

正しくものを見ることが薬であり、

迷いと悟りは自分自身にある、

執著から脱すれば平安になる、ということ。


思ったことを思わなければどうなるか、

ひとつひとつ観察すれば、

心の源底が見えてきます。



※最近の動画です。

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[ 2019/10/05 06:36 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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