以前にも引用したことがありますが、
全日本仏教会のページには、
・戒名って何ですか?そもそも必要なのでしょうか?
という質問に対し、
「戒名は、宗派によって「法名」「法号」とも言われています。
「仏弟子」となった者に与えられる名前で、仏教教団にとって極めて大切なものです。
なぜ戒名をつけなければならないのか、高い戒名料をとられた、などという疑問や不満がお寺
に対する不信感につながり、それが社会問題化しているのではないかと危惧しています。
これらを解決していくためには、住職と檀信徒との相互の信頼関係が不可欠です。日頃より菩
提寺住職に尋ねるなど、戒名について学んでいただきたくお願いします。
なお、生前に戒名をいただくことも良いことです。その場合には、菩提寺の住職にお問い合わ
せください」
とあります。
ナンダカ答になっていないような気がするけれど。
戒名は仏典に根拠が無い、ある種の風習です。
ですから、
あっても、なくてもよい、
と僕は考えています。
仏教の目的は転迷開悟、人格の完成、密教では即身成仏
つまり悟り=成道=成仏ですが、
それと戒名が関係あるとは考えにくい。
日本では、
人が死んだら仏になる、という不思議な考えかたがありますから、
それを成仏(仏に成る)としてしまいますが、
成仏は現実問題であるべきです。
さらには、
戒律を授かり戒名を受けるのですから、
戒名とは、戒律を保つ人の名前。
戒名云々より、戒律のほうが重要です。
そもそも、戒律を保たなければ仏教徒ではない。
ちなみに成仏とは、
「菩提心に通達し、自心の源底を覚知する」こと(『金剛頂経』)
『十住心論』には、
「究竟じて自心の源底を覚知し、実の如く自身の数量を証悟するなり」
とあります。
これは、『大日経』「住心品」にある、
「実の如く自心を知る」こと。
全日本仏教会のページには、
・戒名って何ですか?そもそも必要なのでしょうか?
という質問に対し、
「戒名は、宗派によって「法名」「法号」とも言われています。
「仏弟子」となった者に与えられる名前で、仏教教団にとって極めて大切なものです。
なぜ戒名をつけなければならないのか、高い戒名料をとられた、などという疑問や不満がお寺
に対する不信感につながり、それが社会問題化しているのではないかと危惧しています。
これらを解決していくためには、住職と檀信徒との相互の信頼関係が不可欠です。日頃より菩
提寺住職に尋ねるなど、戒名について学んでいただきたくお願いします。
なお、生前に戒名をいただくことも良いことです。その場合には、菩提寺の住職にお問い合わ
せください」
とあります。
ナンダカ答になっていないような気がするけれど。
戒名は仏典に根拠が無い、ある種の風習です。
ですから、
あっても、なくてもよい、
と僕は考えています。
仏教の目的は転迷開悟、人格の完成、密教では即身成仏
つまり悟り=成道=成仏ですが、
それと戒名が関係あるとは考えにくい。
日本では、
人が死んだら仏になる、という不思議な考えかたがありますから、
それを成仏(仏に成る)としてしまいますが、
成仏は現実問題であるべきです。
さらには、
戒律を授かり戒名を受けるのですから、
戒名とは、戒律を保つ人の名前。
戒名云々より、戒律のほうが重要です。
そもそも、戒律を保たなければ仏教徒ではない。
ちなみに成仏とは、
「菩提心に通達し、自心の源底を覚知する」こと(『金剛頂経』)
『十住心論』には、
「究竟じて自心の源底を覚知し、実の如く自身の数量を証悟するなり」
とあります。
これは、『大日経』「住心品」にある、
「実の如く自心を知る」こと。
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