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欲望と煩悩
この二つはずいぶんと違います。

欲望は生きる力で、

それを野放し放し飼いにすると煩悩になり、

コントロールすると智慧になります。

本来、欲望に善悪はなく、ただ、有るだけです。

たとえば、

生きるための欲望を、上手に利用すれば生活の智慧になり、

生産するための欲望は想像力に、

社会的な欲望は学習する力に、

行動する欲望は、身体を保つ智慧に、

それらを統合すれば生命の智慧・いのちの力になります。

その智慧をそなえた状態が成仏。

 
煩悩はサンスクリット語クレーシャ(kleśa)の漢訳。

身心を悩ませるもの。これによって業を起こし、苦を受け、迷います。

栂尾先生は「おろかさのまよい」と訳しています。

それは自我への執著であり、

自分中心の思考で必ず生じるものです。

無我で、自分を除けていれば、

煩悩にはならず、悟りにつながります。

根本煩悩とされるものに、いくつかあります。

・貪り(過度に愛着する)

・怒り(過度に反発する)

・無知(自我があると思う)

・疑(縁起の法則を疑う)

・慢心(他を軽視する)

・邪見(事実と噂話の区別ができない)

これらの根底にあるのが、

自他、善悪、好き嫌い、自分と仏など、

ふたつに分けて、どちらかに執著すること。


『菩提心論』では無始の間隔とか、而二の隔執と書かれています。

「無始よりこのかた、衆生と仏とを間隔(へだて)する微細の一惑あるがために、

 如来の一切智々(全てを知る智)を身につけることができない

 この一惑を除かんがために、発心して三密の妙道をもとめ、

 五相の次第を修持して、凡夫の肉身そのままに、

 直ちに仏位に悟り入るのである」


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[ 2019/12/12 07:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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