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生むものと生まれるもの:区別を超越する
医学的には、心は大脳から、

陰陽五行説では、五臓から生まれる、

と考えて良いでしょう。

モノから心が生まれる。

生まれた心は全く自由なので、

次は、心が勝手に、いろいろなものを生み出します。
 
その方法は、

いろいろなものを限定し、区別し、差別化して名前をつけます。 


たとえば、

上のほうにある広いものを「空」として、空以外と区別します。

それだけでよいのに、

空に中に雲を生み出し、それに雲という名をつけ、空と区別します。

さらには、
 
雲の中から、入道雲とかイワシ雲などを区別し、

ワタアメみたいだなあ、などと言って喜びます。

みな、心が生み出したもの。


思いやりと優しさがあれば、

平安に生きられることを知った人間は、

それを人格化して観音さまを作りました。

それだけでよいのに、

観音さまの役割を分析して、

六観音とか七観音とか三十三観音に増やします。

心が生み出したものです。


これらを考えてみると、

悟りと迷い

苦しみと平安

なども、心が生み出していることが分かります。 


心は事実では無いものも生み出します。錯覚や妄想など。

おそらく、

心の強さが、生み出すものを変えるでしょう。

強ければ堂々としたもの、忍耐落ち着き安心勇気が生まれ、

弱ければ、恐れ不安怒り興奮悲しみ執著が生まれます。



密教では、

あらゆる主体(生むもの)は本覚(本来完成している)

客体(生まれるもの)は本不生(不生不滅で実体は無い)

であり、

主体と客体は不二平等

と考えています。

脳・五臓(主体)が心(客体)を生み、

心(主体)が様々なもの(客体)を生む。



怨みと親しみ

悪心と愛情

などの念を離れ、

我と他人、かれとこれ

という差別区別(主体と客体)の見かたを超越する、


つまり、

全ての区別を捨離すれば、平等である、

ということ。

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[ 2019/08/30 07:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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