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観音さまはどのようにして願いをかなえてくれるのか。
悟りへ向かう道のりは長く目的地は遠い、

その道理を理解するのが難しく、

修行は厳しい。

しかも、

そのどちらも長い期間が必要である。

もしかしたら、現世では到達できないかもしれない。

そんなものが必要なのだろうか。

それとも、

仕事でも何でも、人生とはそういうものと考えるべきなのだろうか。

そもそも、

お金や健康を願う人は多いけれど、

悟り菩提成仏を必要と考える人は少ない。

 
難行は誰にでもできるものではないから、

何かひと言、心から唱えればよろしい。

唱えれば願いが叶う、そういうものが流行します。

カンタンで誰でもできるから。

でも、

本当だろうか、

唱えるだけで願いが叶うなんてあるわけがないではないか。



観音経は般若心経とともに、日本ではポピュラーなお経です。

観音さまをおまつりしているお寺も多い。

このお経には、

観音さまを念じると、どんな災いがあっても救われる、と書かれています。

念彼観音力
 
なぜ、念じるだけで願いが叶い、苦難から救われるのだろうか。


お経というのは、それを口でパクパクムニャムニャと唱えても、何の意味もありません。

そこに書いてある生きかたを実践しなければ、功徳も何も無い。

 
観音経のおしまいのほうに、こうあります。

「真観、清浄観、広大智慧観、悲観及び慈観。常に願い、常に瞻仰せよ」

真観は、正しく見ること。貪り怒り無知を離れ、色眼鏡で見ないこと。
 
清浄観、

キレイ汚いという仮観ではなく、それは同じものの感じかたに過ぎないのだから、

総ては清浄であると観れば、全てはが光明を放つ。

広大智慧観、

これは空とか中観のことで、根源的な惑いを断つ見かた。

総てのものは川のように流れ、時間のように過ぎて変化することを感じること。

悲観、

相手の苦しみを抜こうとする。ごめんなさい、と言えること。

慈観、

相手に楽を与えること。ありがとう、と笑顔で言えること。

こういう観想(瞑想修行)をすれば、苦しみから解放される、ということ。

観音経ではそれを教えています。

観音さまはそうしているから、願いが叶う。

そして、

観音さまは外ではなく、自分の心の中にいるのだから、

そうすれば願いがかなう。


ついでですが、

大乗仏教から密教になると、

今のこのカラダのまま、今すぐに成仏できる、

と考えるようになりました。

そのためには三密行(身と口と心を調える)と、

三種菩提心(生きるとは慈悲の行為をすること、自分の心を知るための向上心、瞑想による自由な心) が必要。

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[ 2018/06/28 07:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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