忍者ブログ


言葉の秘密
人をほめるのと、けなすのとでは、

その後の関係や心の動きがずいぶんと違います。

どう行動するか、どのように思うかも、

業が違う。

行いや言葉が品行方正でも、

心の中はそうでもない、

ということがあるかもしれない。

密教以前の仏教では、

体と心の成仏(仏の行い、仏の思い)は多く説かれていますが、

言葉については、言亡慮絶というような面があります。


真言行者は、言葉こそ最も重要である、

という記述が『別行次第秘記』に見られます。

なぜなら、

真言宗は真言陀羅尼宗とも云い、
 
儀軌次第を念誦儀軌、念誦次第と号するから。

宗名については、

『金剛頂分別聖位経』に、

「真言陀羅尼宗といっぱ、一切如来秘奥の教、自覚聖智修証の訪問なり」

とあります。


言葉(真言)が重要な理由は、

心が修行によって純化上昇するのは言葉(真言)が入り口である。

言葉には形・音・意味があり、

その意味にさまざまなレベルがあって、

極致が仏智である。

だから、念誦が最要。

唱える時には、まず仏と自分と衆生が平等であると観想する。

自分は法界に遍じているから、唱える真言も法界に遍じている。

宇宙の音、衆生の言葉も真言であり、法界に遍じているから、

みな自分の真言となる、

ということ。

また、『大日経疏』には、

「この教の諸菩薩は真語を門として、自心に菩提を発し即心に万行を具し、

 心の正等覚を見、心の大涅槃を証し、心の方便を発起し、心の仏国を厳浄す」

と書かれています。



そもそも真言とはなにか。

いくつか引いてみます。

「真言とはいわく語密に就いて名を得

 もし具に梵語によらば、曼荼羅となづく」(『十住心論』) 


「仏界の文字は真実なり。故に、経に真実語、実語者、不誑語者、不異語者という。

 この五種の言、梵には曼荼羅という」 

「この真言は何をか詮ずる。よく諸法の実相を呼んで不謬不妄なり。

 故に真言となづく。その真言いかんが諸法の名を呼ぶ。

 真言、無量に差別ありというといえども、かの根源を極むるに、

 大日尊の海印三昧王の真言に出でず」(『声字義』) 


「真言とは梵には曼荼羅という。即ちこれ真語、如語、不妄、不異の義なり。

 龍樹の釈論には、これを秘密号といい、旧訳に呪というは正翻にあらず 」(『大日経開題』)


真言は呪文ではない。

懇請、願望達成、同一化を目的とするマントラではなく、曼荼羅である。

宇宙を構成しているもの、法界、真如そのものである、

というのがお大師さんの立場です。



PR


[ 2019/10/30 06:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

コメントを投稿する






<< 放射能の影響  |  ホーム  |  店の匂い >>