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迷いの根本・無始の間隔
倶舎論や唯識で説かれる根本煩悩(心と身体を乱すもの)は、

貪り(渇愛:好ましいものに執着すること)
瞋り(怒り:好ましくない相手に反発すること)
慢心(自分を高く、他人を低く見ること)
無明(因果の道理を知らないこと)
見 (不変常住唯一の主宰者がある、とするような見解)
疑 (因果の道理などを疑うこと)

このうち

貪り(もっともっとと、自分だけ得ようとする)
怒り(自分が相手より正しいと思っている)
無明(根本的なおろかさ:それが何故起きたのか、その原因を考えない)

が三毒という迷いであり、

このなかの無明が根源と考えられています。


『菩提心論』には、

「なお、無始(昔)よりこのかた、

 衆生と仏とを間隔(へだて)する微細の迷いがあるために、

 如来の総てを知る智慧(一切智々)を身につけることが出来ないのである

 この迷いを除くために

 発心(おもいたち)して三密の妙道を求め、

 五相の次第を修持して、

 凡夫の肉体そのままに、

 ただちに仏の位に悟り入るのである」(( )は栂尾先生の訳)

とあります。


「無始の間隔(けんきゃく)」

つまり、

自他との仕切り(自我)

これが根本煩悩であり、

放っておくと枝がはびこり、

迷いが広がる、

ということです。



『一切経開題』に、

「すべからく本源を了すべし
 もし本源を了ぜんずば学法に益なし
 いわゆる本源とは自性清浄の心なり」

とあるように、

本来、すべてのいのちが生まれながらに具えている、

清浄な心(無我)

を了解することも、迷いの根本を断つ、

と考えられます。


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[ 2019/07/16 06:31 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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