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ATMと説法
息子へ送金するために、

銀行のATMやインターネットバンキングを利用します。

その時、

僕のお金が息子の口座に入ります。

現金書留は、

僕が持っていたお金の実物が届きますが、

ATMやネット送金では、

現ナマがヒラヒラと飛んでいくわけではない。

実物の紙幣が無いのに、

息子に届くのは、本当に僕のお金なのでしょうか。



それはさておき、

大日如来は衆生を悟りへ導くために説法しています。

それは直接、声や姿や匂いで伝えるかもしれないし、

たとえばアナタの身近な存在を通してかもしれない。

大日如来の図像では、

美しい姿で宝冠を戴き、身体は月のように輝き、

大白蓮華上に坐っています。

その姿は、
 
一塵の中の土でもあり、

宇宙全体でもあり、

我が身であり、

一切衆生の身である、

とされます。

つまり、

いろいろな姿で現れます。
 

法界のATMや端末から、

悟りの現金が

僕の口座(心)に振り込まれているのかもしれない。

僕は、その残高に気がついていないのかもしれない。


『声字義』には、

「悟れる者をば大覚と号け、迷える者をば衆生と名づく。

 衆生癡闇にして自ら覚るに由なし。如来加持して其の帰趣を示したもう」

とあります。


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[ 2019/08/28 08:41 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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