白菜が採れはじめました。
食養では、
肝臓の滋養にシイタケスープを使うことが多いですが、
最近は白菜のほうが効くみたい。
スープでお小水、漬物の酸味でウンコにするとよろしい。
僕は不調時、
肝臓を温めて脾臓を冷やします。
それはさておき、
50音表の「あ」と「ん」
アルファベットの「A」と「Z」のように、
サンスクリット語では、
阿(あ)と吽(うん)は最初と最後の文字
なので、
阿吽は始まりと終わりのこと。
これを密教では、
根源と結果
求道と悟り
の象徴としています。
根源に戻れば迷い苦しみは消え(まだ迷い苦しみは無いから)、
結果は迷い苦しみを越えたもの。
真理の根源は、原初の本だから、
何かから生じたものではありません。
それは思量を越えた「本不生」というもので、
大日如来のことでもあります。
その存在の本源は、
あるがままに存在している
ということ。
これが、結果、悟りでもある。
かように、
スタートとゴールは同じことを表しているのかもしれない。
覚鑁さんの『阿字観』には、
阿字の本源は迷いを斬り
吽字の息は虚空に普く満ちている
とありますが、
スタートはすべてのよりどころであり、
それはゴールを構成する一部です。
何かを始めて、
迷いながらも進めば、
最後に、それぞれの悟りになる。
食養では、
肝臓の滋養にシイタケスープを使うことが多いですが、
最近は白菜のほうが効くみたい。
スープでお小水、漬物の酸味でウンコにするとよろしい。
僕は不調時、
肝臓を温めて脾臓を冷やします。
それはさておき、
50音表の「あ」と「ん」
アルファベットの「A」と「Z」のように、
サンスクリット語では、
阿(あ)と吽(うん)は最初と最後の文字
なので、
阿吽は始まりと終わりのこと。
これを密教では、
根源と結果
求道と悟り
の象徴としています。
根源に戻れば迷い苦しみは消え(まだ迷い苦しみは無いから)、
結果は迷い苦しみを越えたもの。
真理の根源は、原初の本だから、
何かから生じたものではありません。
それは思量を越えた「本不生」というもので、
大日如来のことでもあります。
その存在の本源は、
あるがままに存在している
ということ。
これが、結果、悟りでもある。
かように、
スタートとゴールは同じことを表しているのかもしれない。
覚鑁さんの『阿字観』には、
阿字の本源は迷いを斬り
吽字の息は虚空に普く満ちている
とありますが、
スタートはすべてのよりどころであり、
それはゴールを構成する一部です。
何かを始めて、
迷いながらも進めば、
最後に、それぞれの悟りになる。
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