般若経六百巻をすだれのようにパラパラする大般若祈祷会、
ポピュラーな般若心経
それら般若経典に書かれていることが、略般若にまとまっています。
「諸法皆是因縁生 因縁生故無自性 無自性故無去来 無去来故畢竟空
畢竟空故無所得 是名般若波羅蜜」
一切のものは、因縁(縁と条件)によって生じる
だから、
自性(自立的で恒常不変で単一な実体 )が無い
なので、
去るとか来るとかは無い
つまり、
空である
ということ。
大般若経でも般若心経でも、
人間の思惟分別は、
実在とは関係ない虚構にすぎない言葉にもとづいて起こる。
(人間の都合で何にでも勝手に名前をつけ、その名前でないものと区別しているだけ)
言葉で捕らえられない物の本性を、
(もし、名前をつけなかったら、それが何だか理解できない)
言葉と思惟によって虚構し 、
その虚構の上に、誤った行為と煩悩を積み重ねてゆく、
それがわれわれの迷いの世界
という立場です。
しかし、
月でも仏像でも何でも、
それに集中して瞑想すると、
その名前、形が消え、
思惟されるもの、表現されるもの、知覚されるものが消え、
最後まで残っている最高の真実、
それは静寂、孤独、清浄で、言葉と表象を越えた一元の世界が現れます。
それが空観。
それを行じるのが智慧の修行。
真言宗の場合、
まったく合理的でない(日常生活の分別には役に立たない)
真言という言葉を、
実在の象徴として使うことで、
現実をいったん分解して再構築し、
自身と仏(宇宙法界)が同じであると観想します。
例えば、
肉魚を食べると、
そのタンパク質はアミノ酸に分解され、
小腸から吸収され、血液によって肝臓へ送られます。
そして、
新たなタンパク質が作られ、食べた人の身体になります。
それと似ているかな。
だから、
食べないと身体が作られないように、
智慧の修行をしないと、成仏はできない。
ポピュラーな般若心経
それら般若経典に書かれていることが、略般若にまとまっています。
「諸法皆是因縁生 因縁生故無自性 無自性故無去来 無去来故畢竟空
畢竟空故無所得 是名般若波羅蜜」
一切のものは、因縁(縁と条件)によって生じる
だから、
自性(自立的で恒常不変で単一な実体 )が無い
なので、
去るとか来るとかは無い
つまり、
空である
ということ。
大般若経でも般若心経でも、
人間の思惟分別は、
実在とは関係ない虚構にすぎない言葉にもとづいて起こる。
(人間の都合で何にでも勝手に名前をつけ、その名前でないものと区別しているだけ)
言葉で捕らえられない物の本性を、
(もし、名前をつけなかったら、それが何だか理解できない)
言葉と思惟によって虚構し 、
その虚構の上に、誤った行為と煩悩を積み重ねてゆく、
それがわれわれの迷いの世界
という立場です。
しかし、
月でも仏像でも何でも、
それに集中して瞑想すると、
その名前、形が消え、
思惟されるもの、表現されるもの、知覚されるものが消え、
最後まで残っている最高の真実、
それは静寂、孤独、清浄で、言葉と表象を越えた一元の世界が現れます。
それが空観。
それを行じるのが智慧の修行。
真言宗の場合、
まったく合理的でない(日常生活の分別には役に立たない)
真言という言葉を、
実在の象徴として使うことで、
現実をいったん分解して再構築し、
自身と仏(宇宙法界)が同じであると観想します。
例えば、
肉魚を食べると、
そのタンパク質はアミノ酸に分解され、
小腸から吸収され、血液によって肝臓へ送られます。
そして、
新たなタンパク質が作られ、食べた人の身体になります。
それと似ているかな。
だから、
食べないと身体が作られないように、
智慧の修行をしないと、成仏はできない。
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1. posted by 佐藤栄一 2019/05/18
12:31
ご無沙汰しております。いつも、尊い教えをありがとうございます‼️ なかなか実践できませんが、心あらたまります。