お釈尊さまの時代に、6人の代表的な思想家がインドにいました。
(六師外道:ろくしげどう と呼びます)
彼らはそれぞれ独自の思想を説きます。
死後の世界など無いという唯物論
判断というものを中止する、つかみどころの無い鰻論
人間は業によるのではなく、生来の運命によって決まっているという運命論
人間も世間も、地・水・火・風・苦・楽・霊魂の七つで構成され、
これは固定的で実在し、不変で、何をしてもこの七つを通過するだけ。
無道徳論
身業を重視するジャイナ教
の六人
これらと仏教の大きな違いは「無我」の思想の有無です。
『沙門果経』によれば
お釈迦さまは
世間の多くは二つの立場に拠っている。
それは有と無である。
もし、人が智慧をもって世の中の出現を正しく観察するならば、
世間において無はありえない。
人がもし、正しい智慧をもって世の中の消滅を観察するなら、
有はありえない。
あらゆるもはある、というなら、これはひとつの極端説である。
あらゆるものは無い、というなら、これも極端説である。
ブッダはこの両極端に近づかないで、中道によって真理を説く。
これが仏教の基本的立場です。
絶対的なもの、論理的に説明できないものを、現実の言葉で特徴づけないで、心を止めて心を観察して平安を得る、という立場。
悟りとは、この中道を知ることであり、苦しみからの解脱は中道の生活をすること。
苦しみの原因を取り除くためには中道を体得する修行が必要で、それは、
正しいものの見かた
正しい考え方
正しい言葉
正しい行為
正しい生活
正しい努力
正しい反省
正しい精神統一
という八つの方法(八正道)
もっとも大切なのが正しい精神統一(瞑想、心のコントロール)
これを成就するために他の七つがあります。
日常の言動では、極端ではなく、調和がとれるように努力工夫します。
極端を離れるよういつも注意して話し行動し、
座禅瞑想などを常に修法して、心を中道に常住させるようにします。
良いとかダメとかを離れ、
常に冷静に心を観察して、どちらにも偏らない気持ちをもって接するようにします。
(六師外道:ろくしげどう と呼びます)
彼らはそれぞれ独自の思想を説きます。
死後の世界など無いという唯物論
判断というものを中止する、つかみどころの無い鰻論
人間は業によるのではなく、生来の運命によって決まっているという運命論
人間も世間も、地・水・火・風・苦・楽・霊魂の七つで構成され、
これは固定的で実在し、不変で、何をしてもこの七つを通過するだけ。
無道徳論
身業を重視するジャイナ教
の六人
これらと仏教の大きな違いは「無我」の思想の有無です。
『沙門果経』によれば
お釈迦さまは
世間の多くは二つの立場に拠っている。
それは有と無である。
もし、人が智慧をもって世の中の出現を正しく観察するならば、
世間において無はありえない。
人がもし、正しい智慧をもって世の中の消滅を観察するなら、
有はありえない。
あらゆるもはある、というなら、これはひとつの極端説である。
あらゆるものは無い、というなら、これも極端説である。
ブッダはこの両極端に近づかないで、中道によって真理を説く。
これが仏教の基本的立場です。
絶対的なもの、論理的に説明できないものを、現実の言葉で特徴づけないで、心を止めて心を観察して平安を得る、という立場。
悟りとは、この中道を知ることであり、苦しみからの解脱は中道の生活をすること。
苦しみの原因を取り除くためには中道を体得する修行が必要で、それは、
正しいものの見かた
正しい考え方
正しい言葉
正しい行為
正しい生活
正しい努力
正しい反省
正しい精神統一
という八つの方法(八正道)
もっとも大切なのが正しい精神統一(瞑想、心のコントロール)
これを成就するために他の七つがあります。
日常の言動では、極端ではなく、調和がとれるように努力工夫します。
極端を離れるよういつも注意して話し行動し、
座禅瞑想などを常に修法して、心を中道に常住させるようにします。
良いとかダメとかを離れ、
常に冷静に心を観察して、どちらにも偏らない気持ちをもって接するようにします。
PR