坂井栄信僧正の『法号・引導・表白集』には、
仏式の葬儀では、死者を導いて仏門に入らしめることがもっとも重要な作法である。
そのために導師は出家戒(具足戒)を授けるとともに、俗名に替えて僧名を与える。
とあります。
また、
わが真言宗では発心即到の精神により、具足戒を授けて仏門に入らしめ、更に秘密灌頂を授ければ(引導作法)、死者は直ちに仏果を得るとされているのである。
この授戒とともに与える僧名を、戒名とも法名とも云います。
もちろん、生前に出家を志し、授戒して僧名を授かる(僕ら坊さんがそれですが)こともあります。
僕は俗名(祐介)から、出家得度して僧名(晃仁)になりました。
僕らの場合は、普段の生活で使う名前ですから、通常二文字で、分かりやすい、お坊さんらしい名前にします。
僕の場合は、師僧からいただきましたが、自分で考える場合もあります。
我が家の長女、長男は俗名のまま。但し、読みかたを音読みにする。
次男は俗名とは違う僧名にしました。みな、僕が考えてつけたものです。
死後につける戒名は、
地方により寺により伝統とか習慣がありますので、ずいぶんと違いがあります。
全日本仏教会のホームページにある「仏教Q&A」には、
Q.戒名って何ですか?そもそも必要なのでしょうか?
戒名は、宗派によって「法名」「法号」とも言われています。「仏弟子」となった者に与えられる名前で、仏教教団にとって極めて大切なものです。
なぜ戒名をつけなければならないのか、高い戒名料をとられた、などという疑問や不満がお寺に対する不信感につながり、それが社会問題化しているのではないかと危惧しています。
これらを解決していくためには、住職と檀信徒との相互の信頼関係が不可欠です。日頃より菩提寺住職に尋ねるなど、戒名について学んでいただきたくお願いします。
なお、生前に戒名をいただくことも良いことです。その場合には、菩提寺の住職にお問い合わせください。
http:// www.jbf .ne.jp/ interes t/buddh ism_qan da.html #03
何かを説明しようとすれば、それにかかわる問題の典拠を探し、出典を明記して、
更に論理的に考える
と云うのが仏教の立場ですが、戒名についてはそういうものが無いようですね。
戒名は、
お坊さんの名前であり、お坊さんは修行して悟りを求める人で、
戒名はそういう人の名前。
空海、最澄、道元、日蓮などはもちろん戒名ですが、
出家者であった弁慶、信玄、謙信も戒名です。
僕らの世界では、
我が子と同じように、
生まれたときにつけた名前がそのまま僧名になったり、
文字はそのままで音読みにして僧名としたり、
まったく違う名前にしたり、いろいろです。
大切なのは戒律を授かり、心を調えるために修行し、仏の智慧を得ることですから、
名前がどうこうは関係ありません。
葬儀は、
故人の成仏(仏に成る、つまり悟りの世界に行く)ことを祈るもので、
そのために修行者の形として戒名を授けます。
更には、
親族縁者にも授戒と灌頂をして、悟りの世界に導くべきものです。
授戒は悟りのための生きかた
灌頂は仏の命を相続する決意と誓いです。
あるひとつの目覚めを体験すること。
というわけで、
生前の名前を僧名・戒名としてもよろしい。
仏式の葬儀をする
と云うことは仏道修行者になることですから、
その時点で持つ名前は僧名です。
どんな名前でも修行すれば悟れます。
故人の場合は、
修行できるのかどうか分からないから、
生きている縁者が修行して、その功徳を回向するために、
葬儀や法事があるのでしょう。
優しさと思いやりを常にもって生きることが、
修行です。
ひとつの考えかたとして、
名前を変えることは、生まれ変わることになります。
それまでの放逸な人生から、修行をする人になる、
という覚悟に、名前を変えることがつながります。
名前を替えて心機一転、ですね。
※2017年ご祈祷のご案内: http://shintenan.syoyu.net/Entry/1019/
仏式の葬儀では、死者を導いて仏門に入らしめることがもっとも重要な作法である。
そのために導師は出家戒(具足戒)を授けるとともに、俗名に替えて僧名を与える。
とあります。
また、
わが真言宗では発心即到の精神により、具足戒を授けて仏門に入らしめ、更に秘密灌頂を授ければ(引導作法)、死者は直ちに仏果を得るとされているのである。
この授戒とともに与える僧名を、戒名とも法名とも云います。
もちろん、生前に出家を志し、授戒して僧名を授かる(僕ら坊さんがそれですが)こともあります。
僕は俗名(祐介)から、出家得度して僧名(晃仁)になりました。
僕らの場合は、普段の生活で使う名前ですから、通常二文字で、分かりやすい、お坊さんらしい名前にします。
僕の場合は、師僧からいただきましたが、自分で考える場合もあります。
我が家の長女、長男は俗名のまま。但し、読みかたを音読みにする。
次男は俗名とは違う僧名にしました。みな、僕が考えてつけたものです。
死後につける戒名は、
地方により寺により伝統とか習慣がありますので、ずいぶんと違いがあります。
全日本仏教会のホームページにある「仏教Q&A」には、
Q.戒名って何ですか?そもそも必要なのでしょうか?
戒名は、宗派によって「法名」「法号」とも言われています。「仏弟子」となった者に与えられる名前で、仏教教団にとって極めて大切なものです。
なぜ戒名をつけなければならないのか、高い戒名料をとられた、などという疑問や不満がお寺に対する不信感につながり、それが社会問題化しているのではないかと危惧しています。
これらを解決していくためには、住職と檀信徒との相互の信頼関係が不可欠です。日頃より菩提寺住職に尋ねるなど、戒名について学んでいただきたくお願いします。
なお、生前に戒名をいただくことも良いことです。その場合には、菩提寺の住職にお問い合わせください。
http://
何かを説明しようとすれば、それにかかわる問題の典拠を探し、出典を明記して、
更に論理的に考える
と云うのが仏教の立場ですが、戒名についてはそういうものが無いようですね。
戒名は、
お坊さんの名前であり、お坊さんは修行して悟りを求める人で、
戒名はそういう人の名前。
空海、最澄、道元、日蓮などはもちろん戒名ですが、
出家者であった弁慶、信玄、謙信も戒名です。
僕らの世界では、
我が子と同じように、
生まれたときにつけた名前がそのまま僧名になったり、
文字はそのままで音読みにして僧名としたり、
まったく違う名前にしたり、いろいろです。
大切なのは戒律を授かり、心を調えるために修行し、仏の智慧を得ることですから、
名前がどうこうは関係ありません。
葬儀は、
故人の成仏(仏に成る、つまり悟りの世界に行く)ことを祈るもので、
そのために修行者の形として戒名を授けます。
更には、
親族縁者にも授戒と灌頂をして、悟りの世界に導くべきものです。
授戒は悟りのための生きかた
灌頂は仏の命を相続する決意と誓いです。
あるひとつの目覚めを体験すること。
というわけで、
生前の名前を僧名・戒名としてもよろしい。
仏式の葬儀をする
と云うことは仏道修行者になることですから、
その時点で持つ名前は僧名です。
どんな名前でも修行すれば悟れます。
故人の場合は、
修行できるのかどうか分からないから、
生きている縁者が修行して、その功徳を回向するために、
葬儀や法事があるのでしょう。
優しさと思いやりを常にもって生きることが、
修行です。
ひとつの考えかたとして、
名前を変えることは、生まれ変わることになります。
それまでの放逸な人生から、修行をする人になる、
という覚悟に、名前を変えることがつながります。
名前を替えて心機一転、ですね。
※2017年ご祈祷のご案内: http://shintenan.syoyu.net/Entry/1019/
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