薬を信用していれば、
病人は薬があることで安心し、
貧乏は金銭により安心する。
医薬金銭が病貧乏に効験あることを信じている人は多い。
同じように、
僕らは、悟りとそれに向かう修行方法を信じています。
でも、
貧乏や病気と違い、
すぐに効用が現れないし、
そもそも、悟りを必要と考えている人は多くないだろうな。
そのあたりが、仏教の大きな問題なのだけれど、
お盆には多くの人が祈ります。
何を祈っているのだろうか。
祈れば功徳があるけれど、
それは与えられる報償ではなくて、
修行できることが功徳。
修行できるということは、
心に潤いを受けること。
心が乾燥していると、怒りや貪りの火種になる。
世界はそういう人が少なくないらしいと、
毎日のニュースで感じる。
仏教は慈悲を大切にしているけれど、
それは単なる施しではなく、苦楽を分かち合うこと。
それが心楽しいことなのは、
夫婦恋人親子師弟なら感じることなのだけれど、
忘れていることが多いのだろうな。
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