仏教の目的は悟り。
菩提、成道、涅槃と同義で、人格の完成と言う人も多い。
その境地を般若心経では「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」とあります。
具体的には、
真理(法)に目覚めること、迷いからの解脱
縁起の法則を体得すること
ですが、この悟りの主体は智慧です。
智慧はまず、縁起の法則を知ること。
好き嫌い、良い悪いなどの分別の心が苦しみをもたらします。
それは、思い通りにならない、ことです。
好きなことができなくて、嫌いなことがふりかかる
良いことが現れなくて、悪いことが起きる
そこで、
四つの諦めること(四諦)が智慧であると、仏教では考えます。
病、老い、死などの、思い通りにならない苦しみには原因があり、その原因を取り除けば苦しみから解放され、その方法は、正しい生活や心の制御である、
ということ。
「自分の思い通りにならない」という苦しみは執着からも引き起こされます。
ですから、修行によってそれを諦めればいい。
比べない
とらわれない
こだわらない
どうでもいいか、
まあ、いいか
というのが悟りの入り口。
そうすると、
苦しいけれど苦しいだけこと
と思えるようになります。
練習して勉強すれば好ましい結果があるけれど、
それをしなければ、それまでのこと。
あきらめるという「諦観」は、
「あきらかに見る」
ということです。
因果の道理をあきらかにみる
悪い状態になった時、
自分がこんな結果を受けたのは、一体どこに原因があったのか。
それを明らかに観ます。心を観察する。
そして、懺悔反省、より良い誓願を持てばいい。
密教では悟りを、
実の如く自分の心を知ること
としています。
悟りは自分の心にのみ求める。よそには無い。
よくよく自分の心を観察していれば、発心した時に悟りが訪れます。
そして、
心と虚空と悟りは同じ、という立場です。
『大日経』には
虚空は過もなく徳もない。
心も、一切の過を離れて万徳を成就している。
虚空は畢竟浄である
無辺際である
無分別である
虚空は種々の顕形色の相を離れて、造作することもないが、よく万象を含容し、一切の草木有情
はこれによって成長し活動することができる。悟りである心もまた同様
これにはまず、自分の中に悟りがある、という前提を信じることが必要です。
衆生が仏になるのではなく、僕らは元々仏であるのに、それを忘れている、ということを信じる
のが菩提心であり、悟りそのものです。
宝の蔵の中には宝物がある
鉱石の中にはダイヤの原石が含まれているから、製錬して磨けば宝石となる
ということを信じることが悟りの入り口。
その信じる心=悟り
を表現したものが地・水・火・風・空の五大です。
大地の如く、
心は大慈悲の種子が出生するところであり、あらゆる事業のよりどころ
迷いでも悟りでも、その心は平等であり、世間に動揺せられない。
火が薪を焼くように、
悟りの心は一切の迷いと煩悩の薪を焼き尽す
火が平等に闇夜を照らすように、悟りの心も誰にでも平等にあり、
迷いの闇を除いて、進むべき道を見せしめる。
風が塵を吹き払い、熱気を取り去るように、
悟りの風も、一切の障り煩悩の塵を除去し、清浄の世界を表す。
水の如く、
悟りの心も、世間に流れ、瞑想修行を助け、心静かな果実を成じ、人々を利益する
そこは広々として風通しが良く、起き上っても寝ころんでも、さわやかな風が吹いているだけ。
嬉しくも楽しくもない、苦しくも悲しくもない。
そもそも感情など越え、ただ静かである。
感情を超越しているから、
迷いも悩みも無い。
他を苦しめることもない。
_____________________________
【修行してみる】
1、口をそそぎ手を洗い、服装を正す。
2、姿勢正しく坐る
3、線香を一本立て、般若心経一巻唱える。
4、ただ、呼吸する。
5、呼吸が調ったら、昨日のこと、今日のこと、失敗したこと、などを思いだし、それがどこから来たのか、よくよく観察する。
6、言い訳やごまかしを取り除き、受け入れる。
7、反省すべきところは反省し、懺悔するべきことは懺悔し、これから誰に何を言い、自分はどう行動するべきか考える。
8、合掌礼拝
9、座を立ち、7、を生活の中で実行する。
菩提、成道、涅槃と同義で、人格の完成と言う人も多い。
その境地を般若心経では「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」とあります。
具体的には、
真理(法)に目覚めること、迷いからの解脱
縁起の法則を体得すること
ですが、この悟りの主体は智慧です。
智慧はまず、縁起の法則を知ること。
好き嫌い、良い悪いなどの分別の心が苦しみをもたらします。
それは、思い通りにならない、ことです。
好きなことができなくて、嫌いなことがふりかかる
良いことが現れなくて、悪いことが起きる
そこで、
四つの諦めること(四諦)が智慧であると、仏教では考えます。
病、老い、死などの、思い通りにならない苦しみには原因があり、その原因を取り除けば苦しみから解放され、その方法は、正しい生活や心の制御である、
ということ。
「自分の思い通りにならない」という苦しみは執着からも引き起こされます。
ですから、修行によってそれを諦めればいい。
比べない
とらわれない
こだわらない
どうでもいいか、
まあ、いいか
というのが悟りの入り口。
そうすると、
苦しいけれど苦しいだけこと
と思えるようになります。
練習して勉強すれば好ましい結果があるけれど、
それをしなければ、それまでのこと。
あきらめるという「諦観」は、
「あきらかに見る」
ということです。
因果の道理をあきらかにみる
悪い状態になった時、
自分がこんな結果を受けたのは、一体どこに原因があったのか。
それを明らかに観ます。心を観察する。
そして、懺悔反省、より良い誓願を持てばいい。
密教では悟りを、
実の如く自分の心を知ること
としています。
悟りは自分の心にのみ求める。よそには無い。
よくよく自分の心を観察していれば、発心した時に悟りが訪れます。
そして、
心と虚空と悟りは同じ、という立場です。
『大日経』には
虚空は過もなく徳もない。
心も、一切の過を離れて万徳を成就している。
虚空は畢竟浄である
無辺際である
無分別である
虚空は種々の顕形色の相を離れて、造作することもないが、よく万象を含容し、一切の草木有情
はこれによって成長し活動することができる。悟りである心もまた同様
これにはまず、自分の中に悟りがある、という前提を信じることが必要です。
衆生が仏になるのではなく、僕らは元々仏であるのに、それを忘れている、ということを信じる
のが菩提心であり、悟りそのものです。
宝の蔵の中には宝物がある
鉱石の中にはダイヤの原石が含まれているから、製錬して磨けば宝石となる
ということを信じることが悟りの入り口。
その信じる心=悟り
を表現したものが地・水・火・風・空の五大です。
大地の如く、
心は大慈悲の種子が出生するところであり、あらゆる事業のよりどころ
迷いでも悟りでも、その心は平等であり、世間に動揺せられない。
火が薪を焼くように、
悟りの心は一切の迷いと煩悩の薪を焼き尽す
火が平等に闇夜を照らすように、悟りの心も誰にでも平等にあり、
迷いの闇を除いて、進むべき道を見せしめる。
風が塵を吹き払い、熱気を取り去るように、
悟りの風も、一切の障り煩悩の塵を除去し、清浄の世界を表す。
水の如く、
悟りの心も、世間に流れ、瞑想修行を助け、心静かな果実を成じ、人々を利益する
そこは広々として風通しが良く、起き上っても寝ころんでも、さわやかな風が吹いているだけ。
嬉しくも楽しくもない、苦しくも悲しくもない。
そもそも感情など越え、ただ静かである。
感情を超越しているから、
迷いも悩みも無い。
他を苦しめることもない。
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【修行してみる】
1、口をそそぎ手を洗い、服装を正す。
2、姿勢正しく坐る
3、線香を一本立て、般若心経一巻唱える。
4、ただ、呼吸する。
5、呼吸が調ったら、昨日のこと、今日のこと、失敗したこと、などを思いだし、それがどこから来たのか、よくよく観察する。
6、言い訳やごまかしを取り除き、受け入れる。
7、反省すべきところは反省し、懺悔するべきことは懺悔し、これから誰に何を言い、自分はどう行動するべきか考える。
8、合掌礼拝
9、座を立ち、7、を生活の中で実行する。
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