瞑想修行の基本のひとつ、所作の最初に修めるべき心のコントロール法として、
四無量心観(しむりょうしん かん)があります。
この心に住すれば、自他を救うことができる。
四無量心とは、
慈・悲・喜・捨の四つ。
・慈無量心:相手の幸せを願う心。楽を与える姿勢
・悲無量心:苦しみを除いてあげたいと思う心
・喜無量心:相手の幸せを喜ぶ心。慢、疑の無い心
・捨無量心:執著しない心。私が慈・悲・喜の思いを持った、ということを忘れること。
諦める心。
すべての存在は如来蔵。その中に仏(悟り)があります。
ですから、自他の身体・心・言葉は、本来仏と同じだと考えましょう。
すべての人やいのちは、自分は本来仏であるということを忘れがちなので、自他善悪好嫌などの分別が生じて煩悩を起こします。
ですが、
本来清浄、よそから埃のように舞い降りた煩悩は、智慧の風が吹きとばし、
たまたま来たお客さんのような迷いは、慈悲の水とともに流れ去る。
主観客観を離れて見れば、すべては平等
そう思うようになれば心は不生、あらゆるものは空。
たとえば、
あの人から悪口を言われた、馬鹿にされた
子どもが言うことを聞かない。
子が勉強しない
夫が無愛想だ
夫(妻)が文句ばかり言う
何もかも、思うとおりにならない
などと思っても、
それはそれだけのこと。心を動かす、心がゆれる必要はありません。それは心の無駄遣い。
怒ったり泣いたり、悲しんだりする必要も意味もない
相手はそれまでの人なのですから、ただ慈愛・慈悲の気持ちを持っていれば良いのです。
世の中で慈悲より強いものはありません。
慈悲の甲冑をつけていれば、もろもろの障害は去り、他を利益します。
だって、慈悲喜捨の心と姿勢を持ち、慈悲の言葉を話す人に対しては、どんなことをしても打ち負かすことはできないから。
四無量心を持つことで、最も恩恵を受けるのは自分自身です。この心を持てば相手が平安になり、
それを見て、自分自身の心が安らかになりますから。
四無量心観(しむりょうしん かん)があります。
この心に住すれば、自他を救うことができる。
四無量心とは、
慈・悲・喜・捨の四つ。
・慈無量心:相手の幸せを願う心。楽を与える姿勢
・悲無量心:苦しみを除いてあげたいと思う心
・喜無量心:相手の幸せを喜ぶ心。慢、疑の無い心
・捨無量心:執著しない心。私が慈・悲・喜の思いを持った、ということを忘れること。
諦める心。
すべての存在は如来蔵。その中に仏(悟り)があります。
ですから、自他の身体・心・言葉は、本来仏と同じだと考えましょう。
すべての人やいのちは、自分は本来仏であるということを忘れがちなので、自他善悪好嫌などの分別が生じて煩悩を起こします。
ですが、
本来清浄、よそから埃のように舞い降りた煩悩は、智慧の風が吹きとばし、
たまたま来たお客さんのような迷いは、慈悲の水とともに流れ去る。
主観客観を離れて見れば、すべては平等
そう思うようになれば心は不生、あらゆるものは空。
たとえば、
あの人から悪口を言われた、馬鹿にされた
子どもが言うことを聞かない。
子が勉強しない
夫が無愛想だ
夫(妻)が文句ばかり言う
何もかも、思うとおりにならない
などと思っても、
それはそれだけのこと。心を動かす、心がゆれる必要はありません。それは心の無駄遣い。
怒ったり泣いたり、悲しんだりする必要も意味もない
相手はそれまでの人なのですから、ただ慈愛・慈悲の気持ちを持っていれば良いのです。
世の中で慈悲より強いものはありません。
慈悲の甲冑をつけていれば、もろもろの障害は去り、他を利益します。
だって、慈悲喜捨の心と姿勢を持ち、慈悲の言葉を話す人に対しては、どんなことをしても打ち負かすことはできないから。
四無量心を持つことで、最も恩恵を受けるのは自分自身です。この心を持てば相手が平安になり、
それを見て、自分自身の心が安らかになりますから。
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