二我何れの時にか断つ
にが いづれのときにか たつ
三祇に法身を証す
ざんぎに ほっしんの しょうす
阿陀は是れ識性なり
あだは これ しきしょうなり
幻影は即ち名賓なり
げんにょうは すなわち みょうひん なり
あらゆるものは心から生まれる、
ということ。
心が思うから見える、聞こえる、感じる。
思わなければ、何も無いのと同じ。
心の底のほうにDVDがあります。
そこにいろいろなものが記憶されます。
そして、いろいろなタイミングで再生され、
新しく更新されたり、編集されたりして録画されます。
そこには善も悪も、好きも嫌いもどちらでも無いも、
全部記録記憶されます。
この根本DVDから現れるものは、
ただ、仮の名と、賓客として仮の姿があるのみ。
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