先日、恵比寿の「癒楽」に伺いまして、なんとも素敵な治療院でした。
http:// www.yuu raku.ne t/
お暇した後、
どうしようかなあ、
と思ってしばらく歩いていたら、知人に会って得した気分になりました。
どうしようかなあ?
と思う時が人生にはたびたびありまして、どうでも良いようなことが大半ではありますが、時には人生の分かれ道になるような、
どうしようかなあ
もあります。
スライスした豆腐が残ったので、
どうしようかなあ
となりに野菜の繊切りがあったので、その豆腐と混ぜ、地粉パン粉をつけて焼きました。
これはこれでちょっとしたものになります。
僕は最近、こんにゃくは洗うだけで、そのほかの下処理はしません。
水洗いしたこんにゃくを炒め、昆布を繊に切って加え、醤油と水を半々に割ったものを一気に加えて煮染めます。
これでこんにゃくの味と風味が出ますが、どうしようかなあ、なんて思っている暇はない。
炒り玄米が古くなったので炒りなおして炊き、ジャガイモ、大根、玉ねぎ、にんじん、エノキのみじんと炊いて魔法のスープ。厚揚げも入れて炊き、それで夕飯、一献。
これもいろいろ考えている暇は無く、鍋にお任せした料理。
それはさておき、
僕らは六つの感覚器官をもっています。
眼耳鼻舌身意の六つ これを仏教では六根(ろっこん)といます。
これらの対象となるのが六境(ろっきょう)
色声香味触法の六つ。
で、これらは空である、なんて般若心経などで説かれていますが、まあそれはさておき、これらの感覚が脳へ伝わり、僕らは快不快を感じます。
たとえば大根があります。
大根を眼で見る。
すりおろす音を聞く
大根のにおいを嗅ぐ
食べて味わう
触って感触を知る
これらはただ感じているだけ。見てるだけ。聞こえるだけ。
五根(五感)だけなら、どうしようかなあ、なんてことにはならない。
問題は意識、法境ですね。 これが、どうしようかなあ、を生む。
眼で見てそれを「大根だ」
食べて「大根だ」
触って「大根だ」
と認識するのが意識=法なんですが、これがやっかいなんですね。
形や味や感触そのものを感じるのと、それを大根だと認識するのとでは大きな違いがあります。
大根なら大根、これはこれ、なんて認識を固定化する、つまり「空でない」としていると、執着、迷い、苦しみ、悩み、慢心、疑い、人間関係の不和などの元になります。
ではどうすればよいのか。
意識そのものも空である、と悟ることができれば良いのですが、その余裕がないうちは、
感覚が心地良くなるように六境を調え、脳への刺激をストレスの無いようにすれば、心も平安になります。
そして、
どうしようかなあ、なんて思った時も、他が心地良くなり、自らを先にしないようにすればいい
と、僕らは教わりました。
なかなか難しいのだけれど。
____________________________________
※穀菜食の舎会員ページ
○豆腐の料理
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/TDEbKf0zuO0
○アトピーの料理メニュー 夏の基本編
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/3S5VELoaYsM
http://
お暇した後、
どうしようかなあ、
と思ってしばらく歩いていたら、知人に会って得した気分になりました。
どうしようかなあ?
と思う時が人生にはたびたびありまして、どうでも良いようなことが大半ではありますが、時には人生の分かれ道になるような、
どうしようかなあ
もあります。
スライスした豆腐が残ったので、
どうしようかなあ
となりに野菜の繊切りがあったので、その豆腐と混ぜ、地粉パン粉をつけて焼きました。
これはこれでちょっとしたものになります。
僕は最近、こんにゃくは洗うだけで、そのほかの下処理はしません。
水洗いしたこんにゃくを炒め、昆布を繊に切って加え、醤油と水を半々に割ったものを一気に加えて煮染めます。
これでこんにゃくの味と風味が出ますが、どうしようかなあ、なんて思っている暇はない。
炒り玄米が古くなったので炒りなおして炊き、ジャガイモ、大根、玉ねぎ、にんじん、エノキのみじんと炊いて魔法のスープ。厚揚げも入れて炊き、それで夕飯、一献。
これもいろいろ考えている暇は無く、鍋にお任せした料理。
それはさておき、
僕らは六つの感覚器官をもっています。
眼耳鼻舌身意の六つ これを仏教では六根(ろっこん)といます。
これらの対象となるのが六境(ろっきょう)
色声香味触法の六つ。
で、これらは空である、なんて般若心経などで説かれていますが、まあそれはさておき、これらの感覚が脳へ伝わり、僕らは快不快を感じます。
たとえば大根があります。
大根を眼で見る。
すりおろす音を聞く
大根のにおいを嗅ぐ
食べて味わう
触って感触を知る
これらはただ感じているだけ。見てるだけ。聞こえるだけ。
五根(五感)だけなら、どうしようかなあ、なんてことにはならない。
問題は意識、法境ですね。 これが、どうしようかなあ、を生む。
眼で見てそれを「大根だ」
食べて「大根だ」
触って「大根だ」
と認識するのが意識=法なんですが、これがやっかいなんですね。
形や味や感触そのものを感じるのと、それを大根だと認識するのとでは大きな違いがあります。
大根なら大根、これはこれ、なんて認識を固定化する、つまり「空でない」としていると、執着、迷い、苦しみ、悩み、慢心、疑い、人間関係の不和などの元になります。
ではどうすればよいのか。
意識そのものも空である、と悟ることができれば良いのですが、その余裕がないうちは、
感覚が心地良くなるように六境を調え、脳への刺激をストレスの無いようにすれば、心も平安になります。
そして、
どうしようかなあ、なんて思った時も、他が心地良くなり、自らを先にしないようにすればいい
と、僕らは教わりました。
なかなか難しいのだけれど。
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※穀菜食の舎会員ページ
○豆腐の料理
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/TDEbKf0zuO0
○アトピーの料理メニュー 夏の基本編
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/3S5VELoaYsM
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