とはいっても、
最近は焚き火、野焼き、ゴミを燃やす、
など、できないところが増えましたね。
人間は、火に本能的な憧れがあります。
畏敬といってもいい。
火は熱と光、
暖かさと明るさをもたらし、
食べ物を調理する。
火にあたるだけで、
身体も心も暖かくなり、力が沸き、心が潤う。
日常で火が見られるのは台所。
電磁調理器では難しいけれど、かまどやガスなら火がある。
火に近づくだけで、心身は変化します。
海苔をあぶると、よく分かるけれど、火の扱いは難しい。
何でも料理をすれば火を使うのだけれど、
それによって食べ物に火の力、熱が加わる。
生食は本能的なものを伸ばし、
火食は理性的な心身を作ります。
その理由は陰陽五行説で説明できるのだけれど、
長くなるので、何か機会があれば解説しましょう。
ちょっと工夫すると、火のお蔭を得られます。
干しシイタケや昆布を指でつまみ、
ガスの焔に当てて、端を少し焦します。
それを出汁に差し入れ、煮込む。
追い出汁と云い、コクが出て、身体を引き締める味になります。
次は仏壇 。
ローソクと線香の火がある。
ローソクに火を灯したら、
1分くらい、じっと見つめてみましょう。
いろいろなことが分かります。
ひらめきもある、集中力も上がる。
お線香も火をつけて香炉に立てたら、
じっと見つめてみましょう。
淡々と同じ速度で燃える。
このリズムを精進と云います。
それを心身にしみこませると、
いろいろなことが分かります。
ひらめきもある、集中力も上がる。
火鉢など大きなものに、
線香をたくさん組み合わせ、護摩のように燃やす方法は、
とても勝れた心の制御法です。
これはちょっと練習が必要なので、
当方にお越しくださればお教えします。
最も火の効果、火の力を感じられるのが護摩供。
自身を炉として真実の智慧を火とし、
心中の障り・迷いを、薪として燃やす。
火の本性は如来の一切智光。
護摩の火を見ることで、
煩悩、つまり自我の執著を達観します。
今月18日 10時より、
立石寺本堂で護摩供を修法します。
どうぞおまいり下さい。
火と自分、
智慧と迷い
をじっくり見比べてみてください。
立石寺十一面観音護摩供
立石寺 護摩の話