裏山の草刈をしながら、
タケノコを半分収穫、半分は蹴飛ばす。
採り立てだから、下処理は残りご飯を入れた鍋でちょっとゆでればOK
パプリカと炒め、ゆでた大豆、キュウリと和えてサラダ。
塩漬けの山椒実を添える。
キクラゲと煮物
タケノコ昆布
これは水を使わず陽性に作れば、下半身の滋養とガンの薬になる。
それはさておき、
テレビは非常に低俗で、想像力や思考力を低下させるので「一億総白痴化」する、
と、大宅壮一が云ったのが1957年。
テレビを観ているとバカになる、といわれましたね。
意見はけたたましく言うのだけれど、自分の意見の知的水準に対する内省はまるでない。
彼らはインターネットと携帯の狭い世界の中でバカな意見の交換をするのに忙しい。
そいうバカが増えていると、池田清彦が「加速するバカ化」(『やぶにらみ科学論』)で云ったのが2003年。
『大パリニッバーナ経』では、お釈迦さまの言葉として、
「自らをよりどころとし(自灯明)、法をよりどころにせよ(法灯明)」
と説きます。
「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
ここに修行者は、
身体について身体をを観じ、熱心に、良く気をつけて、念じていて、
世間における貪欲と憂いを除くべきである 」
この後、同じように、
感受について
心について
諸々の事象について
熱心に、良く気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いを除くべきである、
とあります。
学ぼうとする人は、
自らを島として、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしない。
法とは真如のことで、勉強して論理的に証明したもの。
この際、
身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
心念処(心念住) - 心の無常を観ずる(諸行無常)
法念処(法念住) - 法の無我(いかなる事象も自分に非ず)を観ずる(諸法無我)
という観想を修すことが基礎になります。そうでないと現象をイメージとして捉えがち。
論理的な説明をつけられるということと、自分のイメージと合わせて正当化することは別です。
例えば、
朝ごはんは食べたほうが良いのか、抜いたほうが良いのか
穀物(炭水化物)は摂ったほうがよいのか、食べないほうがよいのか
チーズやヨーグルトは
魚は肉は
積極的に食べるべきか、そうでもないのか
水はたくさん飲んだほうが良いのか、そんなことはないのか
塩分は摂るべきか、減塩が良いのか
これらはテレビやインターネットや「他をよりどころとして」いると、分からないですね。
なぜ、そうなのか、と勉強して実践すれば分かる。
分かれば不安悩み迷いが無くなり、平安な心身になります。
大切なのは、先にも書いたように概念や感想ではなく、理論的バックボーンです。
僕は陰陽で考えることが得意だけれど、
世の中のものはすべて元素でできており、
消化吸収も化学反応、料理も化学反応、病気や健康も化学反応だから、
化学的に判断するのも便利だろうな。
タケノコを半分収穫、半分は蹴飛ばす。
採り立てだから、下処理は残りご飯を入れた鍋でちょっとゆでればOK
パプリカと炒め、ゆでた大豆、キュウリと和えてサラダ。
塩漬けの山椒実を添える。
キクラゲと煮物
タケノコ昆布
これは水を使わず陽性に作れば、下半身の滋養とガンの薬になる。
それはさておき、
テレビは非常に低俗で、想像力や思考力を低下させるので「一億総白痴化」する、
と、大宅壮一が云ったのが1957年。
テレビを観ているとバカになる、といわれましたね。
意見はけたたましく言うのだけれど、自分の意見の知的水準に対する内省はまるでない。
彼らはインターネットと携帯の狭い世界の中でバカな意見の交換をするのに忙しい。
そいうバカが増えていると、池田清彦が「加速するバカ化」(『やぶにらみ科学論』)で云ったのが2003年。
『大パリニッバーナ経』では、お釈迦さまの言葉として、
「自らをよりどころとし(自灯明)、法をよりどころにせよ(法灯明)」
と説きます。
「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
ここに修行者は、
身体について身体をを観じ、熱心に、良く気をつけて、念じていて、
世間における貪欲と憂いを除くべきである 」
この後、同じように、
感受について
心について
諸々の事象について
熱心に、良く気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いを除くべきである、
とあります。
学ぼうとする人は、
自らを島として、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしない。
法とは真如のことで、勉強して論理的に証明したもの。
この際、
身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
心念処(心念住) - 心の無常を観ずる(諸行無常)
法念処(法念住) - 法の無我(いかなる事象も自分に非ず)を観ずる(諸法無我)
という観想を修すことが基礎になります。そうでないと現象をイメージとして捉えがち。
論理的な説明をつけられるということと、自分のイメージと合わせて正当化することは別です。
例えば、
朝ごはんは食べたほうが良いのか、抜いたほうが良いのか
穀物(炭水化物)は摂ったほうがよいのか、食べないほうがよいのか
チーズやヨーグルトは
魚は肉は
積極的に食べるべきか、そうでもないのか
水はたくさん飲んだほうが良いのか、そんなことはないのか
塩分は摂るべきか、減塩が良いのか
これらはテレビやインターネットや「他をよりどころとして」いると、分からないですね。
なぜ、そうなのか、と勉強して実践すれば分かる。
分かれば不安悩み迷いが無くなり、平安な心身になります。
大切なのは、先にも書いたように概念や感想ではなく、理論的バックボーンです。
僕は陰陽で考えることが得意だけれど、
世の中のものはすべて元素でできており、
消化吸収も化学反応、料理も化学反応、病気や健康も化学反応だから、
化学的に判断するのも便利だろうな。
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