冗快さんの個展にお邪魔して、とても良かった。
特にモノトーンの作品が美しい。
「冗快きり絵の世界」
http://
・6/12(月)~6/18(日) 11:00~18:00(※最終日は16:00迄)
・ギャラリー 日本橋 梅むら
東京都中央区日本橋室町1-13-1梅むらビルB1
(コレド室町3の東側です)
冗快さんの作品のひとつ、『冗快ひとり戯言』のなかに、
生かされている
なんて思わないで
生きた方が
楽かもしれない
という頁があるのだけれど、
「生かされている」という言葉はちょっと気持ちが悪い、
と僕は感じる。
ところで、
来週はいつ車が必要?
と次男に聞いたら
ワンチャン火曜日
と答える。
maybeとかperhapsのことみたいだけれど、おじさんは使いこなせない。
若者言葉はおもしろいからよいけれど、
「生かされている」は、おもしろくない。
原罪があるキリスト教にはそういう考えかたがあるのかもしれないけれど、
気づき、癒し、自分探し、のような生ぬるい気色悪さがあるし、
させていただく、と思います
のような、言い訳の余地を残すような気持ち悪さもある。
ダラダラグズグズしていないで、直ちに修行に入りなさい、
というのが基本の仏教では、生も死も積極的なものです。
だから、
生きる上で起こる個人的な怒りは、世界を救う怒りに変わり、
煩悩は菩提に転換し、
欲望を感じる感覚は、悟りの智慧に転じる。
よくよく考えると、
僕はただ生きているだけ
転んだらただ痛いだけ
気温の高い日は、ただ暑いだけ
存在が真実である本不生。
そうなるべきもの、あるべきものであって、
あるものではない。
でも、
ワンチャン生かされている
なら随分といいかな。
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