あるお母さんから電話があり、
お子さんが皮膚炎で、自然派のお医者さんに診てもらっているのだけれど一向に良くならない。
一向に良くならないのには意味がある、
なんて言われるのだけれど、かゆくてつらくて夜も眠れないから何とかしてほしい
と言う。
時々、精神修行をしない人が精神論で話を展開することがありますし、背景にある理論を自分の思い込みで曲解する人も少なくない。
それはさておき、
近所の老夫婦は、人生の最後に、よそ様に迷惑をかけないため、食事を工夫し、よく運動をして、決して太らないようにしている。
太ることが一番の迷惑だから、
と言う。
確かに、介護看護で、太っている人を運ぶのは大変。
護摩で燃やす、願い事を書く「添え護摩」にはいろいろな願意が書かれますが、良縁成就も多い。
なかには、
離婚成就
とか、
○○が早く死んでくれますように
というものもある。
ちょっと困ります。
今、離婚しなくてもいつかは永遠の別れがくる。
あなたが願わなくても、その人はいつか死ぬ。
同級生のお母さんが亡くなり、葬儀の打ち合わせに伺ったら、
家の中がきれいに片付いている。
自分がガンとわかってから、毎日部屋の片づけ掃除をして、不要なものを処分し、自分の死と死後の準備をした、と言う。
残された人に迷惑をかけない、というのはこういうことでもある。
人の死後、遺族は喪失感や悲しみの中で、年金保険名義変更相続などの事務的な用事に追われます。
その時のために、
預貯金通帳、年金手帳、登記簿、各種証明書、契約書、証書、
自分がどこで生まれてどこに育ち、
生まれてから死ぬまで住んだところ全部の住所本籍地のメモ(できれば本籍地がある(あった)所の改製原戸籍謄本)
を揃えてファイルしておけば、残された人の役に立ちます。
預貯金はカードで引き出せるようにしておくとなおよろしい。
見知らぬ人からメールが来て、
お葬式は家族葬にしたいのだけれど
どういう方法があるのか、と。
なるべく人に知らせず、家族だけで送りたい
とのこと。
そもそも、
家族葬ではない葬儀は、通常には無い。
どんな形でも家族が見送るものです。
家族葬=小さな葬儀
という理解なんでしょうね。
お金をかけずにひっそりとするから、お坊さんのお布施もそれなりに、と言う。
うーん、
僕らは、
どんな葬儀でも同じ経を唱え、同じ作法をし、同じように戒名を考えてお授けします。
葬儀は社会的に幕をおろす、という意味があるから、もし葬儀をしないなら、それなりに幕引きをしなければなりません。
お付き合いが誰ともまったく無い人なら良いですが、普通は近所などいろいろ他人との関係がある。
ひっそりと誰にも知らせずに葬儀をすると、後でお悔やみや香典が届いたり、いつまでたっても遺族の手間がかかります。
人間関係はいろいろですから、どうして知らせてくれなかったのだ、と不満に感じる人もいる。
相続や名義変更でも、その死は他へ伝わります。
子の誕生や七五三、入学卒業を祝うのと同じように、葬儀はしたほうが良い、と僕は思っています。
形式はどのようにでもなります。葬儀社さんに伝えれば希望通りになる。
人様に迷惑をおかけしないように
というのは誰にでもある意識です。
自分が迷惑だな、と感じることを他人にはしないように
という気持ちがある。
でも、
絶対に迷惑をかけない、なんていうことはできないし、
そんなことは迷惑ではない、いやいや迷惑かけてよ、という気持ちもある。
そこには信頼や慈愛がある。
葬儀をして
火葬場で炉に棺を入れて、火葬して収骨し、
そういう儀式で死がどういうものか、
その人は確かに死んだのだ、ということが実感できる。
そして、
その人の良いところを見習い受け継ぎ、自分の生きかたを見直し、
襟を正して生きようと決心する。
葬儀をすることで、そういう気持ちも生まれます。それが供養になる。
お子さんが皮膚炎で、自然派のお医者さんに診てもらっているのだけれど一向に良くならない。
一向に良くならないのには意味がある、
なんて言われるのだけれど、かゆくてつらくて夜も眠れないから何とかしてほしい
と言う。
時々、精神修行をしない人が精神論で話を展開することがありますし、背景にある理論を自分の思い込みで曲解する人も少なくない。
それはさておき、
近所の老夫婦は、人生の最後に、よそ様に迷惑をかけないため、食事を工夫し、よく運動をして、決して太らないようにしている。
太ることが一番の迷惑だから、
と言う。
確かに、介護看護で、太っている人を運ぶのは大変。
護摩で燃やす、願い事を書く「添え護摩」にはいろいろな願意が書かれますが、良縁成就も多い。
なかには、
離婚成就
とか、
○○が早く死んでくれますように
というものもある。
ちょっと困ります。
今、離婚しなくてもいつかは永遠の別れがくる。
あなたが願わなくても、その人はいつか死ぬ。
同級生のお母さんが亡くなり、葬儀の打ち合わせに伺ったら、
家の中がきれいに片付いている。
自分がガンとわかってから、毎日部屋の片づけ掃除をして、不要なものを処分し、自分の死と死後の準備をした、と言う。
残された人に迷惑をかけない、というのはこういうことでもある。
人の死後、遺族は喪失感や悲しみの中で、年金保険名義変更相続などの事務的な用事に追われます。
その時のために、
預貯金通帳、年金手帳、登記簿、各種証明書、契約書、証書、
自分がどこで生まれてどこに育ち、
生まれてから死ぬまで住んだところ全部の住所本籍地のメモ(できれば本籍地がある(あった)所の改製原戸籍謄本)
を揃えてファイルしておけば、残された人の役に立ちます。
預貯金はカードで引き出せるようにしておくとなおよろしい。
見知らぬ人からメールが来て、
お葬式は家族葬にしたいのだけれど
どういう方法があるのか、と。
なるべく人に知らせず、家族だけで送りたい
とのこと。
そもそも、
家族葬ではない葬儀は、通常には無い。
どんな形でも家族が見送るものです。
家族葬=小さな葬儀
という理解なんでしょうね。
お金をかけずにひっそりとするから、お坊さんのお布施もそれなりに、と言う。
うーん、
僕らは、
どんな葬儀でも同じ経を唱え、同じ作法をし、同じように戒名を考えてお授けします。
葬儀は社会的に幕をおろす、という意味があるから、もし葬儀をしないなら、それなりに幕引きをしなければなりません。
お付き合いが誰ともまったく無い人なら良いですが、普通は近所などいろいろ他人との関係がある。
ひっそりと誰にも知らせずに葬儀をすると、後でお悔やみや香典が届いたり、いつまでたっても遺族の手間がかかります。
人間関係はいろいろですから、どうして知らせてくれなかったのだ、と不満に感じる人もいる。
相続や名義変更でも、その死は他へ伝わります。
子の誕生や七五三、入学卒業を祝うのと同じように、葬儀はしたほうが良い、と僕は思っています。
形式はどのようにでもなります。葬儀社さんに伝えれば希望通りになる。
人様に迷惑をおかけしないように
というのは誰にでもある意識です。
自分が迷惑だな、と感じることを他人にはしないように
という気持ちがある。
でも、
絶対に迷惑をかけない、なんていうことはできないし、
そんなことは迷惑ではない、いやいや迷惑かけてよ、という気持ちもある。
そこには信頼や慈愛がある。
葬儀をして
火葬場で炉に棺を入れて、火葬して収骨し、
そういう儀式で死がどういうものか、
その人は確かに死んだのだ、ということが実感できる。
そして、
その人の良いところを見習い受け継ぎ、自分の生きかたを見直し、
襟を正して生きようと決心する。
葬儀をすることで、そういう気持ちも生まれます。それが供養になる。
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