犬の散歩をしていると、道にクヌギやシイの実がたくさん落ちています。
シイの実は子どもの頃よく食べました。
今年はドングリが不作で山の生き物が困っているようですが、この季節になると思い出すのが寺田虎彦の随筆『団栗』
植物園で、亡き妻と同じように団栗を拾って喜ぶ忘れ形見の娘。
その罪の無い横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、団栗の好きなことも折鶴のじょうずな事も、なんにも遺伝してさしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。
という最後の文章を、しみじみと味わいます。
シイの実は子どもの頃よく食べました。
今年はドングリが不作で山の生き物が困っているようですが、この季節になると思い出すのが寺田虎彦の随筆『団栗』
植物園で、亡き妻と同じように団栗を拾って喜ぶ忘れ形見の娘。
その罪の無い横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、団栗の好きなことも折鶴のじょうずな事も、なんにも遺伝してさしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。
という最後の文章を、しみじみと味わいます。
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