仕事柄、名づけ親を頼まれることがあります。
依頼してきたかたに、
候補の名前をいくつか考えてもらい、
その中から、最も適切な画数と数字の流れを選ぶようにしています。
将来お金に困らないように、とか、
親子兄弟が仲良く意思疎通できるように、とか、
そういう画数と数字の流れを選んで名まえをつければ、
保険に入ったような安心感が生まれます。
真言は、仏さまの名前ではないけれど、
名まえのように使われることもあります。
そして、その音声になった理由がある。
大日如来の真言のうち、
(オン)ア・ビ・ラ・ウン・ケン
は梵字でこう書きます。
(『梵習字鑒』より)
大日如来は、
本不生(存在とは何か)を悟った勇者で、
あびら avīra (原語に近く発音すればアヴィーラ)が勇者の意味。
これは、
お釈迦さまが菩提樹下で降魔成道した時、
神々が
ア ヴィーラ フーム カン
(おお勇者よ)
と讃嘆したことに由来しています。
ところが、
多くの経本や次第には、
(『十八道次第』より)
このように、
avīra(アヴィーラ)ではなく、
avira(アヴィラ)と書かれています。
梵字が違いますね。
これでは勇者の意味にならない。
永い年月の間に、間違ったまま伝えられているのでしょうが、
ちょっともったいないですね。
『秘蔵記』にも、
「本不生は阿卑羅吽欠(あびらうんけん)なり」
とあります。
PR