次男はくじ運が良い。少年ジャンプや月刊タイガースの懸賞には何度も当たる。先週はNARUTOのマグカップを当てて使っている。
スーパーのくじ引きに並ぶと、お米10キロなんて当ててくる。
運が良いと安心する。
ちなみにくじや懸賞に当たるのは陽性の時です。陰性の時には当たらない。
電気は送電に一番ロスがあるから、使うところで発電するのが最も効率的。
だから車も自分で発電するのがいい。
エンジン、モーターは走っていれば発電できるし、車に風洞をつけてプロペラを回せばそれでも発電機を回せる。
停まっているときは屋根やボンネットもソーラーパネルだらけにしておけばいい。
なんて長男と話をしていたら、
でもさあ、やっぱりチャリが一番だよ。
だって、もっとも信用できるのは自分の体力だからさ。
という。
信用できるものがあると安心する。
安心は元々仏教語で「あんじん」と読みます。
疑いなき不動の信心のこと。翻って心の工夫、内心の心配り、そして、心が安らかであること。
禅の世界では安心立命(あんじんりゅうめい)⇒心を安んじて天命を立てる、というような使いかたもありますが、幼子が母親に抱かれているような、仏に包まれた気持ちが安心。
僕らは両親から生まれてきたけれど、それだけの縁ではない。その前のご先祖さんはもちろん、地球宇宙のすべての力が縁となり条件となって生まれ育ってきた。
父は大地のようであり、母は大海のようだ。僕らは大地大海大空とも直接間接につながっている。その中の元素が僕とあなたと自然とを行き来している。
だからね、僕はいつでも何かに包まれて、抱かれているから、いつも安心していられる。
僕らは今、過酷な労働に従事している原発作業員と、その環境を支えている高度なスキルを持った技術者、研究者によって安心して当地で暮らすことができている。
だから、ご本尊さんと同じように彼らに包まれて安心を得ているから、額を床につけて心から礼拝する。
人は慾のために「我」がおこる。
そして「我」のために苦しむ。
だから、苦しい時は「我」を捨てればいい。
というのが諸法無我という仏教の立場。
私の、私の物、私の子、私のお金・・・・という「我」。
我があるといつまでたっても安心できない。もっともっとと欲が出るから。
なんで僕には、何で僕だけ、なんて思ってしまうから。
我を肯定したり否定しているうちは改善しない。我は大きく利用すればよろしい。私のもの、ではなくてみんなのもの、とか。
これは私のお金、ではなくて世界中のお金はみんな私のお金、でも、みんなに貸してあげる。管理が面倒だから。
こいつはオレの女、ではなくて、世界中の女は全部オレのもの、でも、みんなに貸してあげる。相手するのが大変だから。
もっとも良いのは、「私」「私のモノ」なんていう実体は無い、と気がつくこと。相互依存で成り立っているにすぎないと知ること。
仏教には安心を得るための様々なカリキュラムがあります。
第一は、ひとり山林で閑静に坐し、瞑想修行する方法。
第二は、行住坐臥をすべて規律正しく作法し、折り目正しく生活すること。
第三は、内側と外側を区別すること。本質と姿を分別すること。
第四は、執着を離れること
第五は、自己の内部に仏がいますことに気が付くこと。
安心できない状態にも陰性と陽性があります。
肩こり頭痛腰痛イライラなどの陽性症状を伴う時は陽性の「我」があるから安心できない。
これはあまり強いと離婚や自殺の原因になる。
右足の小指が固く小さく曲がっている人は陽性な毒が溜まっている。
これは、腎臓が疲れているから怖れに敏感で安心できない。
親指が腫れている人は、肝臓に陽性毒があるから怒りに敏感で安心できない。
これらは温かいもので塩抜きすれば改善します。今の時期ならトウモロコシやかぼちゃの蒸したもの、ミカンジュースなど。
陰性な「我」はお腹が冷えて顔色が悪い。
これらは固い陽性な塩気をよく噛めば改善します。例えば炒り玄米や醤油せんべい。
スーパーのくじ引きに並ぶと、お米10キロなんて当ててくる。
運が良いと安心する。
ちなみにくじや懸賞に当たるのは陽性の時です。陰性の時には当たらない。
電気は送電に一番ロスがあるから、使うところで発電するのが最も効率的。
だから車も自分で発電するのがいい。
エンジン、モーターは走っていれば発電できるし、車に風洞をつけてプロペラを回せばそれでも発電機を回せる。
停まっているときは屋根やボンネットもソーラーパネルだらけにしておけばいい。
なんて長男と話をしていたら、
でもさあ、やっぱりチャリが一番だよ。
だって、もっとも信用できるのは自分の体力だからさ。
という。
信用できるものがあると安心する。
安心は元々仏教語で「あんじん」と読みます。
疑いなき不動の信心のこと。翻って心の工夫、内心の心配り、そして、心が安らかであること。
禅の世界では安心立命(あんじんりゅうめい)⇒心を安んじて天命を立てる、というような使いかたもありますが、幼子が母親に抱かれているような、仏に包まれた気持ちが安心。
僕らは両親から生まれてきたけれど、それだけの縁ではない。その前のご先祖さんはもちろん、地球宇宙のすべての力が縁となり条件となって生まれ育ってきた。
父は大地のようであり、母は大海のようだ。僕らは大地大海大空とも直接間接につながっている。その中の元素が僕とあなたと自然とを行き来している。
だからね、僕はいつでも何かに包まれて、抱かれているから、いつも安心していられる。
僕らは今、過酷な労働に従事している原発作業員と、その環境を支えている高度なスキルを持った技術者、研究者によって安心して当地で暮らすことができている。
だから、ご本尊さんと同じように彼らに包まれて安心を得ているから、額を床につけて心から礼拝する。
人は慾のために「我」がおこる。
そして「我」のために苦しむ。
だから、苦しい時は「我」を捨てればいい。
というのが諸法無我という仏教の立場。
私の、私の物、私の子、私のお金・・・・という「我」。
我があるといつまでたっても安心できない。もっともっとと欲が出るから。
なんで僕には、何で僕だけ、なんて思ってしまうから。
我を肯定したり否定しているうちは改善しない。我は大きく利用すればよろしい。私のもの、ではなくてみんなのもの、とか。
これは私のお金、ではなくて世界中のお金はみんな私のお金、でも、みんなに貸してあげる。管理が面倒だから。
こいつはオレの女、ではなくて、世界中の女は全部オレのもの、でも、みんなに貸してあげる。相手するのが大変だから。
もっとも良いのは、「私」「私のモノ」なんていう実体は無い、と気がつくこと。相互依存で成り立っているにすぎないと知ること。
仏教には安心を得るための様々なカリキュラムがあります。
第一は、ひとり山林で閑静に坐し、瞑想修行する方法。
第二は、行住坐臥をすべて規律正しく作法し、折り目正しく生活すること。
第三は、内側と外側を区別すること。本質と姿を分別すること。
第四は、執着を離れること
第五は、自己の内部に仏がいますことに気が付くこと。
安心できない状態にも陰性と陽性があります。
肩こり頭痛腰痛イライラなどの陽性症状を伴う時は陽性の「我」があるから安心できない。
これはあまり強いと離婚や自殺の原因になる。
右足の小指が固く小さく曲がっている人は陽性な毒が溜まっている。
これは、腎臓が疲れているから怖れに敏感で安心できない。
親指が腫れている人は、肝臓に陽性毒があるから怒りに敏感で安心できない。
これらは温かいもので塩抜きすれば改善します。今の時期ならトウモロコシやかぼちゃの蒸したもの、ミカンジュースなど。
陰性な「我」はお腹が冷えて顔色が悪い。
これらは固い陽性な塩気をよく噛めば改善します。例えば炒り玄米や醤油せんべい。
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[ 2012/07/03 20:20 | 米ぞうの家 ]