30年近く前、高野山の修行道場で先輩に勧められて読んだ本で、とても面白かった。
『密教とイスラーム』 小滝透 著 東方出版
サウジアラビヤの大学を出てアラビア語の先生をしていた著者が、高野山専修学院で修行。
修行記はいくつもありますが、これが飛びぬけて面白い。
この中で小滝さんは、
密教にもイスラム教にも、
偽悪は偽善に勝る
というような思想があるように書いています。
それで思い出すのが中川善教先生の『絶戯台随想』(高野山出版社)にある、
邪信は無信に勝るか
という文章。
邪信と世間では思われているようなものでも、人は純粋に優しく丁寧になれるかもしれない、
ということ。
無信心よりはるかに良いのではないか、ということ。
昨今の仏教事情、葬儀事情にも通じるところがあります。
そして、同じように、
破戒が無戒に勝る
と中川先生は書いています。
この違いが分からないと、宗教が危険なものになってしまう可能性がある。
この違いが分からないと、心は純化しない。
『密教とイスラーム』 小滝透 著 東方出版
サウジアラビヤの大学を出てアラビア語の先生をしていた著者が、高野山専修学院で修行。
修行記はいくつもありますが、これが飛びぬけて面白い。
この中で小滝さんは、
密教にもイスラム教にも、
偽悪は偽善に勝る
というような思想があるように書いています。
それで思い出すのが中川善教先生の『絶戯台随想』(高野山出版社)にある、
邪信は無信に勝るか
という文章。
邪信と世間では思われているようなものでも、人は純粋に優しく丁寧になれるかもしれない、
ということ。
無信心よりはるかに良いのではないか、ということ。
昨今の仏教事情、葬儀事情にも通じるところがあります。
そして、同じように、
破戒が無戒に勝る
と中川先生は書いています。
この違いが分からないと、宗教が危険なものになってしまう可能性がある。
この違いが分からないと、心は純化しない。
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