仏さまは月輪の中におわしまし、仏者は月を悟りの象徴と仰ぐ。
『大日経』によれば、
悟りとは、実の如く自分の心を知ることであり、
自分の心とは、明るく欠けることのない清浄な光の満月のようである。
そして『吽字義』には、
自分の心を知ったものは、一切を知る智慧を得たものである、
とある。
また、『性霊集』巻第二には、
湖面に映る満月を見ては、ありのままに生きるということを知り、
空中に輝く太陽を仰いでは、すべてのいのちが日の光りの恵みによって生かされていると知る。
とある。
月を拝むことは、
満月の光が白く輝き、すべてのものを明らかにするように、あさはかな分別の影をなくし、隠されていた根源の知を照らしだすこと。
満月から新月へ、そしてまた新月から満月へと月は姿を変える。
同じように、
わが心も、智慧が増すごとにだんだんと明るさを増し、やがて十五夜の満月のように、何の妨げのない心になる。
『秘蔵記』には
心は姿形のあるものではないが、もとより清らかで一点の穢れのないこと、あたかも満月のようである。
とあり、
『菩提心論』には
満月の光が虚空に遍満して、恍惚としてあらゆる計らいを離れたるごとく
悟りの境地は
その明瞭なること満月の潔白にして一切を照らす如くである。
とにかく、
満月の円明なる姿が、まったく悟りを求める心と似ているのである。
僕らの心は満月のように美しいのである。
19年前の9月20日十五夜満月の晩、
オリックスのイチローが日本で初めての200本安打を放ち、
我が家では長男が生まれた。
あの晩、幼い長女と見た月もまた、とても美しかった。
『大日経』によれば、
悟りとは、実の如く自分の心を知ることであり、
自分の心とは、明るく欠けることのない清浄な光の満月のようである。
そして『吽字義』には、
自分の心を知ったものは、一切を知る智慧を得たものである、
とある。
また、『性霊集』巻第二には、
湖面に映る満月を見ては、ありのままに生きるということを知り、
空中に輝く太陽を仰いでは、すべてのいのちが日の光りの恵みによって生かされていると知る。
とある。
月を拝むことは、
満月の光が白く輝き、すべてのものを明らかにするように、あさはかな分別の影をなくし、隠されていた根源の知を照らしだすこと。
満月から新月へ、そしてまた新月から満月へと月は姿を変える。
同じように、
わが心も、智慧が増すごとにだんだんと明るさを増し、やがて十五夜の満月のように、何の妨げのない心になる。
『秘蔵記』には
心は姿形のあるものではないが、もとより清らかで一点の穢れのないこと、あたかも満月のようである。
とあり、
『菩提心論』には
満月の光が虚空に遍満して、恍惚としてあらゆる計らいを離れたるごとく
悟りの境地は
その明瞭なること満月の潔白にして一切を照らす如くである。
とにかく、
満月の円明なる姿が、まったく悟りを求める心と似ているのである。
僕らの心は満月のように美しいのである。
19年前の9月20日十五夜満月の晩、
オリックスのイチローが日本で初めての200本安打を放ち、
我が家では長男が生まれた。
あの晩、幼い長女と見た月もまた、とても美しかった。
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