「よく勉強すると、自分の無知なことがよくわかるから、ますます勉強する。それをあべこべに勉強しないでいると、何も彼も知っているような気になって、勉強しなくなるものである・・・」
(高野山大学・故 神代俊通先生)
「不知為不知、是知也。」
知らざるを知らずとす、これ知るなり。
(『論語 為政篇』)
自分のまわり、すべての人は、我が子と同じように大切なんだと知れば、誰も傷つけることなく、自他ともにしあわせになれる。
そのためには、自他の仕切りをなるべく低くすることです。
(高野山大学・故 田中千秋先生)
ガレキはそこに暮らしていた人たちの肖像です。子どもらの文房具、通信簿、家族の写真、洋服、鍋釜・・・・
ただのモノ、ゴミでは無いのです。ガレキの中にはいのちがあります。
イエス・キリストが処刑された時のように、神は人を見捨てます。だから、
泣いている人とともに泣き、苦しむ人とともに苦しむのです。
(宮城学院大学・山形孝夫先生)
・・・
ガレキ処理が始まってから体調が思わしくないのだけれど、食事で対応する方法を教えて欲しい
という問い合わせが何件かあります。
陰性症状なら陽性に、陽性症状なら陰性な飲み物を、
ということのみ、お伝えしています。 それ以上もそれ以下も言わない。
・・・
あまり知られていないようですが、あの日は雪が降りましたね。
それで屋根のあるところに避難できなかった人が寒さで亡くなった。
12日、13日、14日に多くの人が亡くなったのです。
(東北大学・谷山洋三先生)
こういう時に大切なのは四無量心です。
慈・・・相手のしあわせを願い心
悲・・・相手の苦しみを取り除く心
喜・・・相手とともに喜ぶ心
捨・・・私がそうしたのだ、ということを忘れてしまう心
(高野山真言宗管長・松長有慶猊下)
添い遂げる、ということが大切です。
(子育ち文化研究所・澤田季里先生)
電力はね、小さな地域で自給すれば無駄が無いのです。遠くへ送電するから無駄や問題が起こるんです。
(電気電子工学・泰野愈士先生)
善人、悪人などというものはなくて、他に対して善をする人と悪をする人だけが存在するのかもしれない。同じように「何もしないがえらい人」とか「作品はあまりないが大文豪」とか「研究はしないがえらい科学者」というものもやはり一種の透明不可視人間かもしれないのである。
(『寺田寅彦随筆集第五巻』透明人間)
※文献以外は僕が聞いて記憶に残っている言葉ですので、主観が入っています。
最後に、
先日都会から当地に来た人が、 今回のことは神から与えられた試練だと言っていました。善意なのだろうけれど、
福島の人にだけ試練があるのだろうか。東京の人も同じような試練があったのだろうか。
その人は神と同じ視線なのだろうか。
(高野山大学・故 神代俊通先生)
「不知為不知、是知也。」
知らざるを知らずとす、これ知るなり。
(『論語 為政篇』)
自分のまわり、すべての人は、我が子と同じように大切なんだと知れば、誰も傷つけることなく、自他ともにしあわせになれる。
そのためには、自他の仕切りをなるべく低くすることです。
(高野山大学・故 田中千秋先生)
ガレキはそこに暮らしていた人たちの肖像です。子どもらの文房具、通信簿、家族の写真、洋服、鍋釜・・・・
ただのモノ、ゴミでは無いのです。ガレキの中にはいのちがあります。
イエス・キリストが処刑された時のように、神は人を見捨てます。だから、
泣いている人とともに泣き、苦しむ人とともに苦しむのです。
(宮城学院大学・山形孝夫先生)
・・・
ガレキ処理が始まってから体調が思わしくないのだけれど、食事で対応する方法を教えて欲しい
という問い合わせが何件かあります。
陰性症状なら陽性に、陽性症状なら陰性な飲み物を、
ということのみ、お伝えしています。 それ以上もそれ以下も言わない。
・・・
あまり知られていないようですが、あの日は雪が降りましたね。
それで屋根のあるところに避難できなかった人が寒さで亡くなった。
12日、13日、14日に多くの人が亡くなったのです。
(東北大学・谷山洋三先生)
こういう時に大切なのは四無量心です。
慈・・・相手のしあわせを願い心
悲・・・相手の苦しみを取り除く心
喜・・・相手とともに喜ぶ心
捨・・・私がそうしたのだ、ということを忘れてしまう心
(高野山真言宗管長・松長有慶猊下)
添い遂げる、ということが大切です。
(子育ち文化研究所・澤田季里先生)
電力はね、小さな地域で自給すれば無駄が無いのです。遠くへ送電するから無駄や問題が起こるんです。
(電気電子工学・泰野愈士先生)
善人、悪人などというものはなくて、他に対して善をする人と悪をする人だけが存在するのかもしれない。同じように「何もしないがえらい人」とか「作品はあまりないが大文豪」とか「研究はしないがえらい科学者」というものもやはり一種の透明不可視人間かもしれないのである。
(『寺田寅彦随筆集第五巻』透明人間)
※文献以外は僕が聞いて記憶に残っている言葉ですので、主観が入っています。
最後に、
先日都会から当地に来た人が、 今回のことは神から与えられた試練だと言っていました。善意なのだろうけれど、
福島の人にだけ試練があるのだろうか。東京の人も同じような試練があったのだろうか。
その人は神と同じ視線なのだろうか。
PR
[ 2012/10/30 08:11 | 米ぞうの家 ]