おでんのチクワブが残ったので、
黒ごまをまぶして揚げる。
残った煮物を揚げ、
余った揚げ物を煮るのは、
黄檗料理のようでうまい。
それはさておき、
自分が何であるか、
存在とは何か、
を理解したうえで、
慈悲と智慧の瞑想を修すれば、
そこにあるのが悟り。
この時、
慈悲と智慧と瞑想によって、
人は善を修し、悪から離れるようになる。
だから、それが
戒となります。
この戒によって清らかにした心中に道場を建立し、
座を設け、供物を供え、
客を迎えて、心ゆくまで交流するのが、
密教の修法です。
もし、
正絹の衣に金襴の袈裟をつけ、
豪華な建物で修法するならば、
それらは本来心の中に用意するもののシンボル。
そうでないのなら、
恥ずかしい。
まあ、
外見と中身が違うのは人間の特徴ですが。
杉山其日庵が星一に説いた内容が『百魔』にあり、
とても興味深い。それは、
粗食を十分に食べ 十二分に食べない
どんなものでも飲み込む前に噛む
食べたら十分に働き、十二分には働かない
くたびれたらよく眠る
十分に寝て、十二分に寝ない
健康の平均が保てたら、脳髄の健康を平均せしめて、決して空想に耽らない
脳髄の平均が保てて、空想に耽らないようになったら、
ひとつづつ精細に深く考慮する
考慮が円熟したら 強度の忍耐と実行の力とを挙げて、善悪となく屹度遂行する
その結果が善なれば取り、悪なれば取らざることを自分に査定して決める
その経過した経験だけは、決して忘れない
黒ごまをまぶして揚げる。
残った煮物を揚げ、
余った揚げ物を煮るのは、
黄檗料理のようでうまい。
それはさておき、
自分が何であるか、
存在とは何か、
を理解したうえで、
慈悲と智慧の瞑想を修すれば、
そこにあるのが悟り。
この時、
慈悲と智慧と瞑想によって、
人は善を修し、悪から離れるようになる。
だから、それが
戒となります。
この戒によって清らかにした心中に道場を建立し、
座を設け、供物を供え、
客を迎えて、心ゆくまで交流するのが、
密教の修法です。
もし、
正絹の衣に金襴の袈裟をつけ、
豪華な建物で修法するならば、
それらは本来心の中に用意するもののシンボル。
そうでないのなら、
恥ずかしい。
まあ、
外見と中身が違うのは人間の特徴ですが。
杉山其日庵が星一に説いた内容が『百魔』にあり、
とても興味深い。それは、
粗食を十分に食べ 十二分に食べない
どんなものでも飲み込む前に噛む
食べたら十分に働き、十二分には働かない
くたびれたらよく眠る
十分に寝て、十二分に寝ない
健康の平均が保てたら、脳髄の健康を平均せしめて、決して空想に耽らない
脳髄の平均が保てて、空想に耽らないようになったら、
ひとつづつ精細に深く考慮する
考慮が円熟したら 強度の忍耐と実行の力とを挙げて、善悪となく屹度遂行する
その結果が善なれば取り、悪なれば取らざることを自分に査定して決める
その経過した経験だけは、決して忘れない
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