土用の酷暑、お見舞い申し上げます。
こう暑いと八寒地獄でもいいかな
なんて『鬼灯の冷徹』を読んで思うけれど、
僕らは地獄でも極楽で自由自在に行くことができます。
どちらも僕らの心の中にあるものだから。
いやいや、あらゆるものは心の中にありますね。
ちなみに、
お盆は地獄目線で言えば、獄卒の夏休みらしい。
お盆は盂蘭盆のこと。
これはサンスクリット語の「ウランバナ」(ullambana)の音写語
倒懸(さかさにかかる)という意味。そういう苦しみ、ということ。
古代イラン語(アヴェスター語)の「ウルヴァン」(urvan)が語源という説もあります。意味は「霊魂」
盂蘭盆の法会期間は7月1日から15日まで。
1日に地獄の窯の蓋が開いて、亡者が帰ってきます。だから、地獄は夏休みになるんだろうな。
盂蘭盆会は、お正月と同じように、ご先祖さまが各自の家に帰って来るのを迎える行事。
昔はこの時期くらいしか休めなかったからかもしれない。
家族全員でお迎えするのが本来の形。
今は月遅れで8月に行うところが多いですね。学校会社の休みと合わせて。
そもそも、今の暦とは違うからいつでも良いといえば良い。
お盆の典拠となる『盂蘭盆経』は偽経。
インド伝来ではなく、中国で作られた経典を偽経といいます。インチキという意味ではありませんが、中国儒教の影響が強い。
雨季の間、3か月、
修行者は町に出ず、森などで修行します。これを安居(あんご)という。
それが終わる7月15日は自恣(じし)という反省会の日
お釈迦さまの弟子で神通力に優れた目連尊者が、
亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけます。
喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出しますが、みな口に入る直前に炎となってしまう。
どうしたら母を救えるのだろうか、とお釈迦さまに相談すると、
「自恣の日にすべての比丘に供養すれば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」
その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜び。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。
というお話。
しかし、食べ物飲み物なんでも口に入れる瞬間に火になる、
なんてすごいことを考えましたね。
僕は盂蘭盆経を読むといつも思います。
親というものの罪は限りなく重い、と。
子のためには何でもする。
子を救うために他の命を奪うこともする。
子のために、何かを盗み、嘘をつき、二枚舌を使い、怒り、貪る。
何よりも、
自分の子と他所の子を区別する。
この間の仕切りこそ煩悩の根源、執着の元
この仕切りが高いほど苦しみ迷い不幸の原因になる。
この仕切りが無くなることが悟りなのだけれど。
『救抜焔口陀羅尼経』には、
お釈迦さまの話を、師のもっとも近くでたくさん聞いた阿難尊者の話があります。
尊者が静かな場所で坐禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れます。
痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る醜い餓鬼。
その餓鬼が阿難に
「お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう」
と言います。
そして、
「我ら餓鬼道にいる苦の衆生、あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命はのび、我も又苦難を脱することができ、お前の寿命も延びるだろう」
とも言います。
尊者がお釈迦さまに相談すると、
「ここに観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、この加持飲食陀羅尼を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができる」
と言われます。
これが施餓鬼の起源。
この二つの話は混同されていますが、
お盆は夏の一時期の行事で、施餓鬼は本来毎日行うもの。
お盆は先祖供養の経典や盂蘭盆教を唱え、
施餓鬼は陀羅尼を唱え施餓鬼作法をします。
ところで、
僕の姪らはミッション系の中高一貫女子校に通っています。
そこでは『聖☆おにいさん』が必修科目らしい。
伯父さんはブッダになるの?
と聞かれます。
こう暑いと八寒地獄でもいいかな
なんて『鬼灯の冷徹』を読んで思うけれど、
僕らは地獄でも極楽で自由自在に行くことができます。
どちらも僕らの心の中にあるものだから。
いやいや、あらゆるものは心の中にありますね。
ちなみに、
お盆は地獄目線で言えば、獄卒の夏休みらしい。
お盆は盂蘭盆のこと。
これはサンスクリット語の「ウランバナ」(ullambana)の音写語
倒懸(さかさにかかる)という意味。そういう苦しみ、ということ。
古代イラン語(アヴェスター語)の「ウルヴァン」(urvan)が語源という説もあります。意味は「霊魂」
盂蘭盆の法会期間は7月1日から15日まで。
1日に地獄の窯の蓋が開いて、亡者が帰ってきます。だから、地獄は夏休みになるんだろうな。
盂蘭盆会は、お正月と同じように、ご先祖さまが各自の家に帰って来るのを迎える行事。
昔はこの時期くらいしか休めなかったからかもしれない。
家族全員でお迎えするのが本来の形。
今は月遅れで8月に行うところが多いですね。学校会社の休みと合わせて。
そもそも、今の暦とは違うからいつでも良いといえば良い。
お盆の典拠となる『盂蘭盆経』は偽経。
インド伝来ではなく、中国で作られた経典を偽経といいます。インチキという意味ではありませんが、中国儒教の影響が強い。
雨季の間、3か月、
修行者は町に出ず、森などで修行します。これを安居(あんご)という。
それが終わる7月15日は自恣(じし)という反省会の日
お釈迦さまの弟子で神通力に優れた目連尊者が、
亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけます。
喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出しますが、みな口に入る直前に炎となってしまう。
どうしたら母を救えるのだろうか、とお釈迦さまに相談すると、
「自恣の日にすべての比丘に供養すれば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」
その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜び。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。
というお話。
しかし、食べ物飲み物なんでも口に入れる瞬間に火になる、
なんてすごいことを考えましたね。
僕は盂蘭盆経を読むといつも思います。
親というものの罪は限りなく重い、と。
子のためには何でもする。
子を救うために他の命を奪うこともする。
子のために、何かを盗み、嘘をつき、二枚舌を使い、怒り、貪る。
何よりも、
自分の子と他所の子を区別する。
この間の仕切りこそ煩悩の根源、執着の元
この仕切りが高いほど苦しみ迷い不幸の原因になる。
この仕切りが無くなることが悟りなのだけれど。
『救抜焔口陀羅尼経』には、
お釈迦さまの話を、師のもっとも近くでたくさん聞いた阿難尊者の話があります。
尊者が静かな場所で坐禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れます。
痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る醜い餓鬼。
その餓鬼が阿難に
「お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう」
と言います。
そして、
「我ら餓鬼道にいる苦の衆生、あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命はのび、我も又苦難を脱することができ、お前の寿命も延びるだろう」
とも言います。
尊者がお釈迦さまに相談すると、
「ここに観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、この加持飲食陀羅尼を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができる」
と言われます。
これが施餓鬼の起源。
この二つの話は混同されていますが、
お盆は夏の一時期の行事で、施餓鬼は本来毎日行うもの。
お盆は先祖供養の経典や盂蘭盆教を唱え、
施餓鬼は陀羅尼を唱え施餓鬼作法をします。
ところで、
僕の姪らはミッション系の中高一貫女子校に通っています。
そこでは『聖☆おにいさん』が必修科目らしい。
伯父さんはブッダになるの?
と聞かれます。
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