この時期、好きな景色のひとつが、
葉が落ちた木に残る柿の実
干し大根の風景とともに日本らしい風景だな、と感じます。
残柿、または木守柿と言います。
最後に残って木を守る実。
僕らの心の中には、僕らを守る種子があります。
それが成長して僕らは何かをする。
多くはつぼみまでしか成長しないけれど、稀に花を咲かせ、実をつける人がいる。
お釈迦さまとか、お大師さんとか。
仏教寺院や家庭の仏壇、拝む場所にはご本尊さんがおわします。
観音さん、お薬師さん、お地蔵さん、お不動さん、阿弥陀さん、文殊さん、虚空蔵さん・・・。
曼荼羅や経典やお念仏を本尊とすることもあります。
真言密教では、
大日経を理解していれば大日如来を本尊に、
金剛頂経を体得していれば曼荼羅の諸尊を、
どちらも理解していないうちはお釈迦さまを本尊に、
と僕は考えているけれど、いずれにしても仏さまはいたるところにおわします。
『秘蔵記』には、
本質として清らかな人の心は、あらゆるものの中で最も優れもっとも尊い。故に本尊という。
人は眼前の姿に眼がくらんで、仏と同じ本質を発揚できずにいるけれど、
無条件に自分を投げ出しておまかせするならば、真なるものに到らんと修行するものを救済する。
結果だけではなく、仏になろうとする、その努力が尊いのである。
とあります。
残り柿もその時その場の本尊なんだろうな。
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