「百鬼園先生幻想録」の顰に倣って、米ぞう思えらく
酒を飲むのもよいが、酔うと危ない.
大丈夫ですと縁者が請け負ってくれても、安心できない。
そもそも、飲まなくてもよいものを飲むのは、自然の摂理に背き、仏の意思に逆らう不逞である。
もっとも、それは酔った場合に考えればいいことで、飲めば必ず酔うと決まったわけでもなく、
また無事でいる人の話を聞いてみると、酒を飲むことは随分面白いようでもあるから、、やっぱり飲んでみたくもなる。
坊主が酔っ払いに向かって、
お前の親父は何で死んだのかと尋ねたら、酔っ払いは、父も祖父も曾祖父もみんな酒で死んだと答えた。
坊主が驚いて、それでもお前は酒を飲むのが怖くないのかと聞くと、
今度は酔っ払いが、
お前の親父や祖父さんや曽祖父さんは、どこで亡くなったのかと問い返した。
そこで坊主が、みんな布団の上で死んだと答えたら、
酔っ払いはびっくりして、それでもお前さんは布団に寝るのが怖くないのか、と云った。
酒がいくら危険でも、布団の上で人が死ぬのに比べれば、遥かに安全である。
米ぞう又思えらく
坊主が金襴の袈裟をかけて読経するのは、何か色物のようでおもしろいものである。
最近は仏教離れ、寺離れ、檀家離れというのが流行っているらしいが、
読経というのは門前の小僧でも習わずに唱えられるようなので、きっと坊さんでなくてもできることなのだろう。
だから、
親戚のうちでだれか髪の薄い者に法衣袈裟をつけさせ、正面に坐らせればよい。
法話というものも、
『よく分かる仏教入門』の類や『布教法話集』などをインターネットで探して購入し、それをネタ本にして話せばよい。
一杯食わせてみる勇気があれば、その儀式はたちまちにして芸術の一部門たる認識を得るであろう。
教員や医者と違い、坊さんのふりをして坊さんみたいなことをしても法に触れることは無いから、すでに珍しいことではないかもしれない。
米ぞう思えらく
物は名の始めである。
初めに物ありて、次にその名を定める。
猫を飼ってその名をネズミとし、
「ネズミや、ネズミや」と呼べば、猫が尾を振って飛んでくるだろう。
蚊が飛ぶ季節になったが、蚊とはいえ殺生はいけないことである。
しかしやむを得ず退治しなければならない時は、
その蚊に、権力をカサに横暴なことをしている輩の名をつけてから退治することも試してみよう。
しかしながら、声字は実相である。
世の中の固体、液体、エネルギー、気体、空間は、
みな言葉で表される。
目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻によって嗅げるもの、口によって味わうもの、手とからだによって触れられるもの、意識によって考えられるもの
の働きによってとらえられたものが言語になる。
仏の説法は必ず文字による、文字の所在は世の中にあるものである。
世の中にあるものは仏の身体、言葉、心である。
つまり、
人はみな仏、世の中の総ては仏のサイン
それを受け取れるレベルになれば、
不公平でつらいと思われる人生が平安になるだろう。
それには、
自分の体はどのようになっているか
自分の心はどのように動いているか
それらは他とどのようにつながっているか
とういうことを仔細に観察すればいい。
それには密教の三密行がもっとも簡単で早い効果がある。
________________________________________
料理教室&瞑想講座
6月3日(土)11時~
会場:吹田市PINO
料理は、腎臓・肝臓の養生。
問い合わせは下記まで
http:// salon-p ino.com /
春の不動明王護摩供
6月4日(日) 12時30分~
鳴門市撫養町木津 JR金比羅前駅下車 金比羅神社上の山頂
鳴門不動院
仏事と修行方法のご相談はメールでどうぞ
gbqmk185@ybb.ne.jp
酒を飲むのもよいが、酔うと危ない.
大丈夫ですと縁者が請け負ってくれても、安心できない。
そもそも、飲まなくてもよいものを飲むのは、自然の摂理に背き、仏の意思に逆らう不逞である。
もっとも、それは酔った場合に考えればいいことで、飲めば必ず酔うと決まったわけでもなく、
また無事でいる人の話を聞いてみると、酒を飲むことは随分面白いようでもあるから、、やっぱり飲んでみたくもなる。
坊主が酔っ払いに向かって、
お前の親父は何で死んだのかと尋ねたら、酔っ払いは、父も祖父も曾祖父もみんな酒で死んだと答えた。
坊主が驚いて、それでもお前は酒を飲むのが怖くないのかと聞くと、
今度は酔っ払いが、
お前の親父や祖父さんや曽祖父さんは、どこで亡くなったのかと問い返した。
そこで坊主が、みんな布団の上で死んだと答えたら、
酔っ払いはびっくりして、それでもお前さんは布団に寝るのが怖くないのか、と云った。
酒がいくら危険でも、布団の上で人が死ぬのに比べれば、遥かに安全である。
米ぞう又思えらく
坊主が金襴の袈裟をかけて読経するのは、何か色物のようでおもしろいものである。
最近は仏教離れ、寺離れ、檀家離れというのが流行っているらしいが、
読経というのは門前の小僧でも習わずに唱えられるようなので、きっと坊さんでなくてもできることなのだろう。
だから、
親戚のうちでだれか髪の薄い者に法衣袈裟をつけさせ、正面に坐らせればよい。
法話というものも、
『よく分かる仏教入門』の類や『布教法話集』などをインターネットで探して購入し、それをネタ本にして話せばよい。
一杯食わせてみる勇気があれば、その儀式はたちまちにして芸術の一部門たる認識を得るであろう。
教員や医者と違い、坊さんのふりをして坊さんみたいなことをしても法に触れることは無いから、すでに珍しいことではないかもしれない。
米ぞう思えらく
物は名の始めである。
初めに物ありて、次にその名を定める。
猫を飼ってその名をネズミとし、
「ネズミや、ネズミや」と呼べば、猫が尾を振って飛んでくるだろう。
蚊が飛ぶ季節になったが、蚊とはいえ殺生はいけないことである。
しかしやむを得ず退治しなければならない時は、
その蚊に、権力をカサに横暴なことをしている輩の名をつけてから退治することも試してみよう。
しかしながら、声字は実相である。
世の中の固体、液体、エネルギー、気体、空間は、
みな言葉で表される。
目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻によって嗅げるもの、口によって味わうもの、手とからだによって触れられるもの、意識によって考えられるもの
の働きによってとらえられたものが言語になる。
仏の説法は必ず文字による、文字の所在は世の中にあるものである。
世の中にあるものは仏の身体、言葉、心である。
つまり、
人はみな仏、世の中の総ては仏のサイン
それを受け取れるレベルになれば、
不公平でつらいと思われる人生が平安になるだろう。
それには、
自分の体はどのようになっているか
自分の心はどのように動いているか
それらは他とどのようにつながっているか
とういうことを仔細に観察すればいい。
それには密教の三密行がもっとも簡単で早い効果がある。
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料理教室&瞑想講座
6月3日(土)11時~
会場:吹田市PINO
料理は、腎臓・肝臓の養生。
問い合わせは下記まで
http://
春の不動明王護摩供
6月4日(日) 12時30分~
鳴門市撫養町木津 JR金比羅前駅下車 金比羅神社上の山頂
鳴門不動院
仏事と修行方法のご相談はメールでどうぞ
gbqmk185@ybb.ne.jp
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