仙台に住んでいた5年間、
他派の住職にお世話になった。
檀家が多いので、葬儀の手伝いも頻繁であった。
その住職は、
俺たちは芸人さんや役者さんと同じだよ、
と云う。
葬儀という総合舞台には、
葬儀屋さんはじめ、花屋、仕出し屋、タクシー業者など大勢の人が関わっている。
その中で、
ある決まったスケジュールで坊主の出演時間があり、
そこで読経などの作法をする。
それでギャラをもらう。
なるほどなあ、
と思った。その通りである。
だから、
その時間の質が問題になる。
声は良く、音痴で無いほうがいいし、
衣装も豪華なほうが良いかもしれない。
話もじょうずなほうが断然いい。
でも、お経の意味や、正しい唱えかたは知らなくていい。
儀式の雰囲気にあえば、自己流でもいい。
お話も実話でなくていい。
つまり、
儀式は一種のパフォーマンスやショウなので、
それにあわせることが大切である。
このような考えなら、
経を唱えるのは、
噺家の落語、歌手の唄、芸人の技、役者の芝居と同じかもしれない。
下手くそではいけない、名人を目指さなければ。
他派の住職にお世話になった。
檀家が多いので、葬儀の手伝いも頻繁であった。
その住職は、
俺たちは芸人さんや役者さんと同じだよ、
と云う。
葬儀という総合舞台には、
葬儀屋さんはじめ、花屋、仕出し屋、タクシー業者など大勢の人が関わっている。
その中で、
ある決まったスケジュールで坊主の出演時間があり、
そこで読経などの作法をする。
それでギャラをもらう。
なるほどなあ、
と思った。その通りである。
だから、
その時間の質が問題になる。
声は良く、音痴で無いほうがいいし、
衣装も豪華なほうが良いかもしれない。
話もじょうずなほうが断然いい。
でも、お経の意味や、正しい唱えかたは知らなくていい。
儀式の雰囲気にあえば、自己流でもいい。
お話も実話でなくていい。
つまり、
儀式は一種のパフォーマンスやショウなので、
それにあわせることが大切である。
このような考えなら、
経を唱えるのは、
噺家の落語、歌手の唄、芸人の技、役者の芝居と同じかもしれない。
下手くそではいけない、名人を目指さなければ。
PR