夏ミョウガが採れはじめ、摘んですぐに刻んで醤油をかけて、

山椒、紫蘇、エゴマのかき揚げを載せて。
来月後半には、秋ミョウガが採れるようになります。
さて、
ここ数日は涼しいですが、
暑くてだるくて何もやる気にならない、という時、
心はより強いものへ向きますから、
暑さよりも強い思い、あれを食べたいそれを飲みたいこれをやりたい
などの思いが強ければ、暑さはどうでもよくなります。
ただ、暑いだけ。
人は他と比べることで苦しみも安心も得ます。
暑いと思っても、もっと暑くなれば暑くない。
外へ出て草取りをすれば、その後はそれより暑くないから暑くない。
それに、
発汗して陽性が抜ければ暑くない。
暑いのは陽性だから。
陽性体質だから陽性な暑さに弱くなる。
だから、
陰性な食事にすれば暑くなくなる。暑くても大丈夫、ただ暑いだけ。
暑いと感じるのは自分です。
自分とは何かと考えると、
自分の外側に自分は無く、内側を探してみてもこれが自分だ、というものは無い。
自分という固定的なものは無くて、
いろいろなものが集まって自分というイメ-ジを作っているだけ。
自分というものが無いのですから、
暑いと感じる主体が無い。なので、暑いというのは錯覚か妄想です。
人間関係や仕事も同じ。
イヤなことがあっても、
そう思うだけのこと。
人は生きている間のいろいろな行為が、心の流れに付随して、思いや感情をつなげています。
暑いと思い、次の瞬間にはそれを忘れ、また次に暑いと思う。
この心の流れは、物質とは違うので、意思によって変わります。
例えば、
自分が誰かに嫌われている、と感じた場合、
嫌われるのは自分の言動が相手にとっては好ましくないから(倫理的でも論理的でも無い、ただの感情)
と考えられます。
でも、
嫌われることによって自分の言動を振り返り、
おそらく好ましくなかった言動は消滅します。
つまり、
嫌われるという罰を受けて業が消滅する。
嫌われることで自己の存在意義が出てくる。
同じように、
暑いという罰によって、
悪業は消滅するかもしれない。
山椒、紫蘇、エゴマのかき揚げを載せて。
来月後半には、秋ミョウガが採れるようになります。
さて、
ここ数日は涼しいですが、
暑くてだるくて何もやる気にならない、という時、
心はより強いものへ向きますから、
暑さよりも強い思い、あれを食べたいそれを飲みたいこれをやりたい
などの思いが強ければ、暑さはどうでもよくなります。
ただ、暑いだけ。
人は他と比べることで苦しみも安心も得ます。
暑いと思っても、もっと暑くなれば暑くない。
外へ出て草取りをすれば、その後はそれより暑くないから暑くない。
それに、
発汗して陽性が抜ければ暑くない。
暑いのは陽性だから。
陽性体質だから陽性な暑さに弱くなる。
だから、
陰性な食事にすれば暑くなくなる。暑くても大丈夫、ただ暑いだけ。
暑いと感じるのは自分です。
自分とは何かと考えると、
自分の外側に自分は無く、内側を探してみてもこれが自分だ、というものは無い。
自分という固定的なものは無くて、
いろいろなものが集まって自分というイメ-ジを作っているだけ。
自分というものが無いのですから、
暑いと感じる主体が無い。なので、暑いというのは錯覚か妄想です。
人間関係や仕事も同じ。
イヤなことがあっても、
そう思うだけのこと。
人は生きている間のいろいろな行為が、心の流れに付随して、思いや感情をつなげています。
暑いと思い、次の瞬間にはそれを忘れ、また次に暑いと思う。
この心の流れは、物質とは違うので、意思によって変わります。
例えば、
自分が誰かに嫌われている、と感じた場合、
嫌われるのは自分の言動が相手にとっては好ましくないから(倫理的でも論理的でも無い、ただの感情)
と考えられます。
でも、
嫌われることによって自分の言動を振り返り、
おそらく好ましくなかった言動は消滅します。
つまり、
嫌われるという罰を受けて業が消滅する。
嫌われることで自己の存在意義が出てくる。
同じように、
暑いという罰によって、
悪業は消滅するかもしれない。
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