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[ 2024/11/22 19:58 | ]
自己と宇宙
19日(日)12時半より、鳴門市木津・不動院で護摩供を修法し、皆様の平安をお祈りいたしましたので、ご安心ください。


護摩で大切なのは、その中で唱える真言。

真言は智慧のエッセンスで、それを唱えることが加持になります。

護摩では火と煙が出ますが、

火は迷いを燃やす智慧の炎

煙は煩悩を吹き飛ばす智慧の風


さて、

およそ人類の歴史で、

古今東西多くの人が求めてきたもの、知りたかったことは、

宇宙とは何か

自己とは何か


古代インドでは、このふたつの本質は同一であり、その本質をブラフマンと名付けました。

それは、宇宙や自己を説明する根本原理、宇宙と自己を証明する全体的な真実。


その真実は、

目に見えるのか見えないのか。

言葉で説明できるのかできないのか。

それを僕らは知ることができるのか、できないのか。

できるとすれば、いつ、どのようにすれば体験できるのか。

などによって様々な思想ができました。


密教では、それを大日如来と呼び、

自らその内容を説法し、

その宇宙と自己の本初と究極を説明でき、

それは修行によって今すぐにでも悟れるとしました。


つまり、

宇宙は大日であり、大日は自己でもある。

それを説明するひとつが言葉、真言です。

さらに、

「あ」(A)という字で説明証明できるという立場です。

すべての言葉は、声字は「あ」から始まるから。


 宇宙も自己も、

無からはできたものではない。
 
原因なくしては何ものも存在しえない。

だから、
 
ブラフマンや大日という名の、これ以上分割できない全体性が求められました。

神から作り出されるのではないから。


大日如来は、

すべての人に適応するように種々の姿をあらわし、様々な説法を行います。

それが真言であり、護摩の火や煙。


自己や宇宙の根本的な存在(本質、真実)を論理的にも説明することはできないけれど、

自己や宇宙が存在する、という実在性こそが真理である、という立場です。

この事実を積極的・肯定的に受け入れることが智慧。


例えば、

眼前に恋人がいる。
 
これは無であり空であると言われても、

恋人を細かく分析しても、骨や筋肉や血液があるだけで「真の恋人」というモノは無い、などといわれても、

実際に恋人はいる。

それは確かに「在る」から、これが真実。

でも、

これは実在ではなくて、因縁によって生じているだけ。

恋人は確かに存在しているけれど、

それには実体はなく、不変でもない。

今は若々しく美しい恋人も、いつかは老いて姿は変わる。

病になれば弱り、いつかは死ぬ。

そうして変化するのに、

今、目の前の恋人こそが真実である、永遠に変わらない、

と執着することは正しくない。

今も、病気になっても、嫌いになっても、老いても死んでも、真実。

それを不生不滅と言います。


愛しい恋人の根源を探っていけば、

本来不生不滅な、始めも終わりもない、「あるもの=ブラフマン、大日如来、真実」があります。

それがあなたの恋人。

それがあなたに必要なもの、

それを悟るために人生という修行があります。

護摩の火と煙の中に、

その真実を見ようと、みなが修行します。


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[ 2016/06/25 09:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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