あるかたから、
私が子供の頃はお葬式も、法事も、当然お寺で、本堂でお経をきいていましたが、宗派でご本尊って違うんですね。
それとも、「私は この明王さま~」とか選んでも良いのですか?
自分の葬儀の時は
「信心していた、○○観音様でお願いします」とか は、ありですか?
と聞かれました。
昔、ご自宅でお葬儀をするときは、菩提寺のご本尊さん(の身代わり)をお借りしておまつりすることもありました。
僕は、
葬儀の連絡が入ると、戒名を考えてから、ウチのご本尊さん(お不動さん)の前で、供養法という修法をします。
この修法の一部に、お葬式の所作である引導作法を組み込むのが本義ですが、
葬儀会場では時間や備品の関係で略式になり、自宅でフルバージョンを拝みます。
で、
この作法も決まりはありません。
仏教は修行の宗教で、修行の理論や実践方法は確立されているけれど、
お葬式のやり方というものは元々無い。
経典儀軌にも典拠は無い。
その時代や地域の習慣風習に合わせたものです。
関係ありそうな経典は、(( )内は僕の加筆)
「苾蒭(びしゅく:僧のこと)のうち、葬送をよくするものに、無常経ならびに伽陀を誦させ、死者のために呪願させた 」(『毘那耶律』)
「仏(お釈迦さま)は浄飯王(お釈迦さまの父)を導引かれた」 (『浄飯王般泥洹経』 )
「大愛比丘尼が涅槃するとき、仏は自らさきにあって、香炉を捧げて引導をなされた」
(『智度論』十 )
などがある。
文献から引いてみると
葬送は(死という)無常を観じ、現在の欲を貪る生活を厭うべきを知らしめるために葬送する
仏教各宗は、その建前より儀式、式典に相当の複雑を加味される
経軌には本拠なきも、古来の慣例に従って行う(『佛事と葬儀』福山乗道)
真言宗の引導作法は諸尊法などと異なって、それぞれの地方により、師によって、大いに異なって、これが真言宗の引導作法だといえるものがない。 (『真言宗引導作法』稲谷祐宣)
江戸幕府が開かれると、キリシタン禁制、寺請け、新寺建立禁止令が矢継ぎ早に出され、
寛文五年(1665)には諸宗寺院法度が制定され、幕府による宗教統制が強化されていく。
この時期に葬儀式の規定もなされていくことになる。
儀礼は教義を行為として表現したものである以上、各宗が依ってたつ所依経典や宗祖の法語類にもとづいて構成されていることはいうまでもない。(『葬儀を考える』藤井正雄)
などがあります。
つまり、
それぞれの和尚さんが、
こういう風にすると、より良いだろうな、と考えて作法しています。
『葬儀を考える』には、
「葬儀を裏方で支えるのが葬儀社で、僧侶側は本来の役割を考えて「心の救済」を説いて欲しい」
と、全日本葬祭業協同組合連合会消費者相談室長の要請が書かれており、その通りです。
そういうわけで、
「信心していた、○○観音様でお願いします」
と僕が請われたら、
自宅でその観音様の修法をしてから、
葬儀会場ではその観音様の真言で拝み、その観音様に結縁する作法をして引導します。
故人と観音様と僕と相応し、
縁者と一緒に報恩感謝して、
みな一緒に悟りの世界へ向かいましょう。
できれば、
その観音様をお連れになってくださるとありがたい。
私が子供の頃はお葬式も、法事も、当然お寺で、本堂でお経をきいていましたが、宗派でご本尊って違うんですね。
それとも、「私は この明王さま~」とか選んでも良いのですか?
自分の葬儀の時は
「信心していた、○○観音様でお願いします」とか は、ありですか?
と聞かれました。
昔、ご自宅でお葬儀をするときは、菩提寺のご本尊さん(の身代わり)をお借りしておまつりすることもありました。
僕は、
葬儀の連絡が入ると、戒名を考えてから、ウチのご本尊さん(お不動さん)の前で、供養法という修法をします。
この修法の一部に、お葬式の所作である引導作法を組み込むのが本義ですが、
葬儀会場では時間や備品の関係で略式になり、自宅でフルバージョンを拝みます。
で、
この作法も決まりはありません。
仏教は修行の宗教で、修行の理論や実践方法は確立されているけれど、
お葬式のやり方というものは元々無い。
経典儀軌にも典拠は無い。
その時代や地域の習慣風習に合わせたものです。
関係ありそうな経典は、(( )内は僕の加筆)
「苾蒭(びしゅく:僧のこと)のうち、葬送をよくするものに、無常経ならびに伽陀を誦させ、死者のために呪願させた 」(『毘那耶律』)
「仏(お釈迦さま)は浄飯王(お釈迦さまの父)を導引かれた」 (『浄飯王般泥洹経』 )
「大愛比丘尼が涅槃するとき、仏は自らさきにあって、香炉を捧げて引導をなされた」
(『智度論』十 )
などがある。
文献から引いてみると
葬送は(死という)無常を観じ、現在の欲を貪る生活を厭うべきを知らしめるために葬送する
仏教各宗は、その建前より儀式、式典に相当の複雑を加味される
経軌には本拠なきも、古来の慣例に従って行う(『佛事と葬儀』福山乗道)
真言宗の引導作法は諸尊法などと異なって、それぞれの地方により、師によって、大いに異なって、これが真言宗の引導作法だといえるものがない。 (『真言宗引導作法』稲谷祐宣)
江戸幕府が開かれると、キリシタン禁制、寺請け、新寺建立禁止令が矢継ぎ早に出され、
寛文五年(1665)には諸宗寺院法度が制定され、幕府による宗教統制が強化されていく。
この時期に葬儀式の規定もなされていくことになる。
儀礼は教義を行為として表現したものである以上、各宗が依ってたつ所依経典や宗祖の法語類にもとづいて構成されていることはいうまでもない。(『葬儀を考える』藤井正雄)
などがあります。
つまり、
それぞれの和尚さんが、
こういう風にすると、より良いだろうな、と考えて作法しています。
『葬儀を考える』には、
「葬儀を裏方で支えるのが葬儀社で、僧侶側は本来の役割を考えて「心の救済」を説いて欲しい」
と、全日本葬祭業協同組合連合会消費者相談室長の要請が書かれており、その通りです。
そういうわけで、
「信心していた、○○観音様でお願いします」
と僕が請われたら、
自宅でその観音様の修法をしてから、
葬儀会場ではその観音様の真言で拝み、その観音様に結縁する作法をして引導します。
故人と観音様と僕と相応し、
縁者と一緒に報恩感謝して、
みな一緒に悟りの世界へ向かいましょう。
できれば、
その観音様をお連れになってくださるとありがたい。
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