ご本尊さんを供養する多くの次第には、
「一切有情は如来蔵を具す」(慈無量観)
唱える理趣経には、
「一切有情は如来蔵なり」(第十二段)
とあります。
如来蔵(にょらいぞう)は
誰もが仏の本質、仏になるための原因を持っている、
ということ。
仏性と同じような言葉です。
迷いによって覆われるかどうかの違いがあるのだけれど。
いづれにしても、
これを開発すると、
仏になる、成仏する、悟る、完成する。
お大師さんの『性霊集』には、
故人の周忌法要の願文が28種、載っています。
それらは、死者の追善菩提を願うものですが、
大日如来の悟りの境地にいざないたまえ
と、成仏することを祈願しています。
如来蔵である誰もが、
死後において成仏することを願う。
通常、
生きている人は、三密瑜伽という修行によって、悟りの境地へ出られます。
つまり、如来蔵が開発されて成仏する。
しかし、
三密瑜伽の機会を持たないまま、
死によって如来蔵が可能性のままに残される人の成仏を願う。
さらに、
その功徳によって、
全てのいのち、存在の成仏を願う。
なぜなら、みな本来仏だから。
そういう構成の願文になっています。
「一切有情は如来蔵を具す」(慈無量観)
唱える理趣経には、
「一切有情は如来蔵なり」(第十二段)
とあります。
如来蔵(にょらいぞう)は
誰もが仏の本質、仏になるための原因を持っている、
ということ。
仏性と同じような言葉です。
迷いによって覆われるかどうかの違いがあるのだけれど。
いづれにしても、
これを開発すると、
仏になる、成仏する、悟る、完成する。
お大師さんの『性霊集』には、
故人の周忌法要の願文が28種、載っています。
それらは、死者の追善菩提を願うものですが、
大日如来の悟りの境地にいざないたまえ
と、成仏することを祈願しています。
如来蔵である誰もが、
死後において成仏することを願う。
通常、
生きている人は、三密瑜伽という修行によって、悟りの境地へ出られます。
つまり、如来蔵が開発されて成仏する。
しかし、
三密瑜伽の機会を持たないまま、
死によって如来蔵が可能性のままに残される人の成仏を願う。
さらに、
その功徳によって、
全てのいのち、存在の成仏を願う。
なぜなら、みな本来仏だから。
そういう構成の願文になっています。
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