時間と空間では、時間のほうが陽性で空間が陰性になります。広がりがありますからね。
心と身体では、心のほうが陰性ですが、それゆえに心は陽性を引きつけやすい。
陽性な生活、陽性毒の多いものを食べていると、心の陰性が消えるので、いろいろ問題が生じると考えられます。
ですから、心に諸問題がある時は、
陰性な食べ物をふやせばよろしい。
発汗も心身を陰性にします。
さて、
密教には、
「遍満している」
という表現が多く使われます。
『十住心論』には
近くして見難きはわが心
細にして空に遍ぜるはわが心なり
わが心広にしてまた大なり
とあり、
僕らが修法する金剛界の次第には、
すべてのものは自分の心から生まれ、
幻のような迷いの世界も、
虚空界に遍満している諸仏によって目覚めさせられる
と。
宇宙に、虚空に、いたるところに、
宇宙の真理、それは仏法のことですが、
大日如来が遍満している 。
なのに、それに気がつかない
如来の智慧と慈悲に包まれているのに気がつかない。
気がつかないのは、自我があるから。
自我はそれと自分との間に仕切りを作りますから。
で、
大日如来は心の中に住んでいます。
仏とは誰のことか
自分の本心の名である(『慕仙詩』)
仏とはもとより備わっている自分の心の徳である(『中寿感興詩』)
とあるように、
大日如来とは自心である、といって良いでしょうから、
心もあらゆるところに遍満しています。
僕は今ここにいて、遠くの人を思うことができ、
過去を思いだし、 未来を創造することができます。
かように心は遍満している。
当然、僕の心と他の心も同じ大日如来で、同じように遍満して溶け合っていますから仕切りが無い。
仕切りが無いから平等である。
せめて一時でもいいから、
それに気がつけるような毎日にしたいものです。
極楽世界は自分の心の中にあるのである
悟りの境地は本来的に我々の心の中に在るものである(『造曼荼羅願文』)
仏さまはどこにおられるか。自分の身体の中におられる。
法をさとるものは誰か。わが心である(『供三宝願文』)
この宇宙より広く大きいものはわが心
かの宇宙間に最も尊いものは自身中の仏である(『平城天皇灌頂文』)
諸仏は宇宙そのものであるから、わが身はその中心にいるのである。
自分も宇宙そのものであるから、諸仏は我々の中におられるのである(『理観啓白文』)
大日といっぱ、此れ衆生の本覚なり(『雑問答』)
心と身体では、心のほうが陰性ですが、それゆえに心は陽性を引きつけやすい。
陽性な生活、陽性毒の多いものを食べていると、心の陰性が消えるので、いろいろ問題が生じると考えられます。
ですから、心に諸問題がある時は、
陰性な食べ物をふやせばよろしい。
発汗も心身を陰性にします。
さて、
密教には、
「遍満している」
という表現が多く使われます。
『十住心論』には
近くして見難きはわが心
細にして空に遍ぜるはわが心なり
わが心広にしてまた大なり
とあり、
僕らが修法する金剛界の次第には、
すべてのものは自分の心から生まれ、
幻のような迷いの世界も、
虚空界に遍満している諸仏によって目覚めさせられる
と。
宇宙に、虚空に、いたるところに、
宇宙の真理、それは仏法のことですが、
大日如来が遍満している 。
なのに、それに気がつかない
如来の智慧と慈悲に包まれているのに気がつかない。
気がつかないのは、自我があるから。
自我はそれと自分との間に仕切りを作りますから。
で、
大日如来は心の中に住んでいます。
仏とは誰のことか
自分の本心の名である(『慕仙詩』)
仏とはもとより備わっている自分の心の徳である(『中寿感興詩』)
とあるように、
大日如来とは自心である、といって良いでしょうから、
心もあらゆるところに遍満しています。
僕は今ここにいて、遠くの人を思うことができ、
過去を思いだし、 未来を創造することができます。
かように心は遍満している。
当然、僕の心と他の心も同じ大日如来で、同じように遍満して溶け合っていますから仕切りが無い。
仕切りが無いから平等である。
せめて一時でもいいから、
それに気がつけるような毎日にしたいものです。
極楽世界は自分の心の中にあるのである
悟りの境地は本来的に我々の心の中に在るものである(『造曼荼羅願文』)
仏さまはどこにおられるか。自分の身体の中におられる。
法をさとるものは誰か。わが心である(『供三宝願文』)
この宇宙より広く大きいものはわが心
かの宇宙間に最も尊いものは自身中の仏である(『平城天皇灌頂文』)
諸仏は宇宙そのものであるから、わが身はその中心にいるのである。
自分も宇宙そのものであるから、諸仏は我々の中におられるのである(『理観啓白文』)
大日といっぱ、此れ衆生の本覚なり(『雑問答』)
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