真言密教の特徴のひとつが即身成仏。
現在の人生で、現在の身体で、
成仏できる、こよなき悟りに至る、
ということ。
その典拠は『即身成仏義』に挙げられており、
その方法は『大日経』と『金剛頂経』に説かれています。
この二つは、
前者が行の教え、後者が瑜伽(ヨーガ)の教えなので、
ちょっと方法が違います。
いづれにしても、
利他行(慈悲)と三密行(智慧)という方法で、即身成仏できるのが特徴。
そして、
即身成仏した人、または、それを目指している人が、
少ないのも特徴
のような気がする。
なぜだろうか。
それはさておき、
『金剛頂経』では、衆生が登場しません。
ということは、
慈悲の対象が無い。
だから、
どんな人でも、その人の性格資質に関係なく成仏できる。
真言を唱える口と、作法する身体、仏の世界を想う心があればいい。
それらが正当で誤りなくできればいい。
つまり、
自分のことだけで、他人のことは関係ないとも言えます。
でも、
成仏すれば、自然と悪から離れ、善にあふれ、
存在するだけで利他になるのかもしれない。
仏とはそういうものだから。
瑜伽の理論では、
象徴と、それが象徴するものとは同じである
ので、
三密行によって、曼荼羅を自身のうちに再建すれば、
自らが金剛界曼荼羅、大日如来になる、
ということ。
現在の人生で、現在の身体で、
成仏できる、こよなき悟りに至る、
ということ。
その典拠は『即身成仏義』に挙げられており、
その方法は『大日経』と『金剛頂経』に説かれています。
この二つは、
前者が行の教え、後者が瑜伽(ヨーガ)の教えなので、
ちょっと方法が違います。
いづれにしても、
利他行(慈悲)と三密行(智慧)という方法で、即身成仏できるのが特徴。
そして、
即身成仏した人、または、それを目指している人が、
少ないのも特徴
のような気がする。
なぜだろうか。
それはさておき、
『金剛頂経』では、衆生が登場しません。
ということは、
慈悲の対象が無い。
だから、
どんな人でも、その人の性格資質に関係なく成仏できる。
真言を唱える口と、作法する身体、仏の世界を想う心があればいい。
それらが正当で誤りなくできればいい。
つまり、
自分のことだけで、他人のことは関係ないとも言えます。
でも、
成仏すれば、自然と悪から離れ、善にあふれ、
存在するだけで利他になるのかもしれない。
仏とはそういうものだから。
瑜伽の理論では、
象徴と、それが象徴するものとは同じである
ので、
三密行によって、曼荼羅を自身のうちに再建すれば、
自らが金剛界曼荼羅、大日如来になる、
ということ。
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