揚げ油が余ったので、
高野とゴボウを素揚げして残り油を無くし、生姜と煮込む。
ビシソワーズを作りすぎたので、カレーに変身させる。
このようなリサイクル料理は 、
迷いを智慧に、
煩悩を覚りに変えることと似ている。
心をリサイクルするのが転迷開悟のひとつ。
それはさておき、
昔の戦争は領土領地を広げるためだったのに、最近はただの人殺しになっていますね。
そんな戦争を、たぶん儲かるからか、やりたい人がいて、
平和な世の中を願う人もいる。
これは、
商売繁盛や合格祈願などと似ています。
こちらが儲かれば、どこかで儲からない人がいて、
僕が合格すれば、誰かが不合格になる。
ということは、
他人の失敗や損失を願うことになります。
全員がお金持ちにはなれず、
全員が合格できないように、
戦争を無くして平和になることは難しい。
なぜなら、
これらは両立不可能、且つ二者択一不可避だから。
これは津田真一博士が、
『大日経』と『金剛頂経』の関係について使う言葉です。
こういう類の願いは、
そのためにうーんと努力して、
かなわなければそれまでのこと、
と思うべきかもしれない。
でも、
自分の心身に関する願いは、努力工夫すれば必ずかないます。
宗教、特に仏教は身病と心病を治すもので、
初期仏教では、
「身心の一切について無常の事実を知り、自分の心身を厭う思いを起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥ける」
などの修行によって病を治すとしています。
身病については、律蔵の経典や『金光明最勝王経』に見られ、
心病の治しかたは、
『三昧耶戒序』や『十住心論』に詳しい。
仏教が得意とするのは、
栄養学、薬物学、断食を含む食事療法、精神身体医学などと、
ヨーガ経典にもとづく坐法、調息、保息、凝念、静慮、自律訓練法
ですが、
特に、心病の根本原因は根源的な無知なので、
それを消せば、心の平和を得ることができます。
具体的には、
自分にとって最良の道を求める瞑想
やさしさと思いやりを育てる慈悲の瞑想
自分の心を実の如く知る瞑想
の三つ。
心の平和がかなえば、苦しみ、迷い、悩みといった心の病気は改善し、
常に楽観的積極的で明るい思考になり、
もし、ひとりでも多くの人がそうなれば、
戦争がなくなり、世界が平和になる可能性はあります。
高野とゴボウを素揚げして残り油を無くし、生姜と煮込む。
ビシソワーズを作りすぎたので、カレーに変身させる。
このようなリサイクル料理は 、
迷いを智慧に、
煩悩を覚りに変えることと似ている。
心をリサイクルするのが転迷開悟のひとつ。
それはさておき、
昔の戦争は領土領地を広げるためだったのに、最近はただの人殺しになっていますね。
そんな戦争を、たぶん儲かるからか、やりたい人がいて、
平和な世の中を願う人もいる。
これは、
商売繁盛や合格祈願などと似ています。
こちらが儲かれば、どこかで儲からない人がいて、
僕が合格すれば、誰かが不合格になる。
ということは、
他人の失敗や損失を願うことになります。
全員がお金持ちにはなれず、
全員が合格できないように、
戦争を無くして平和になることは難しい。
なぜなら、
これらは両立不可能、且つ二者択一不可避だから。
これは津田真一博士が、
『大日経』と『金剛頂経』の関係について使う言葉です。
こういう類の願いは、
そのためにうーんと努力して、
かなわなければそれまでのこと、
と思うべきかもしれない。
でも、
自分の心身に関する願いは、努力工夫すれば必ずかないます。
宗教、特に仏教は身病と心病を治すもので、
初期仏教では、
「身心の一切について無常の事実を知り、自分の心身を厭う思いを起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥ける」
などの修行によって病を治すとしています。
身病については、律蔵の経典や『金光明最勝王経』に見られ、
心病の治しかたは、
『三昧耶戒序』や『十住心論』に詳しい。
仏教が得意とするのは、
栄養学、薬物学、断食を含む食事療法、精神身体医学などと、
ヨーガ経典にもとづく坐法、調息、保息、凝念、静慮、自律訓練法
ですが、
特に、心病の根本原因は根源的な無知なので、
それを消せば、心の平和を得ることができます。
具体的には、
自分にとって最良の道を求める瞑想
やさしさと思いやりを育てる慈悲の瞑想
自分の心を実の如く知る瞑想
の三つ。
心の平和がかなえば、苦しみ、迷い、悩みといった心の病気は改善し、
常に楽観的積極的で明るい思考になり、
もし、ひとりでも多くの人がそうなれば、
戦争がなくなり、世界が平和になる可能性はあります。
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