高野山真言宗のお葬式でお不動さんをご本尊とするのは、
お不動さんが教令輪身(きょうりょうりんじん)という尊格だから、
と僕は考えています。
お不動さんは大日如来の使者で、
救われないもののために大日如来の命令を実行する人、
そういう役割のかたを明王といい、教令輪身といいます。
本来大日如来である僕らの身体が多くの細胞で作られているように、
あらゆる仏は、大日如来が主の世界・マンダラの一部。大日如来は諸尊の総体。
お不動さん・不動明王は、
「真言の道を実践するものを守護するのが誓願」(『底哩三昧耶経』)
「この尊は大日の化なり。使いとなりて諸務を執る」(『唅十九種相観想略頌文』)
とありますが、
大日如来が派遣した使者は、大日如来が変身した姿。
方便のために、どんな仕事でもすぐにやる。
ですから、故人を導く儀式の本尊として適格。
お不動さんはじめ、明王と呼ばれる仏さまは憤怒の姿をしていますが、
これは煩悩が強く強情な相手でも、慈悲の怒り(の力)で悟りへ導く姿です。
お不動さんが右手に持っている剣は、煩悩障と所知障のふたつを断ち切ります。
僕らが覚りを開けない、ブッダになれないのは、このふたつがあるからです。
煩悩障は我々自身の行為の誤り、道徳的欠陥。
所知障は客観的認識のあやまり。正しい教えを聞いても実践できないという欠点。
これを智慧の剣で断ち切ります。
お不動さんが教令輪身(きょうりょうりんじん)という尊格だから、
と僕は考えています。
お不動さんは大日如来の使者で、
救われないもののために大日如来の命令を実行する人、
そういう役割のかたを明王といい、教令輪身といいます。
本来大日如来である僕らの身体が多くの細胞で作られているように、
あらゆる仏は、大日如来が主の世界・マンダラの一部。大日如来は諸尊の総体。
お不動さん・不動明王は、
「真言の道を実践するものを守護するのが誓願」(『底哩三昧耶経』)
「この尊は大日の化なり。使いとなりて諸務を執る」(『唅十九種相観想略頌文』)
とありますが、
大日如来が派遣した使者は、大日如来が変身した姿。
方便のために、どんな仕事でもすぐにやる。
ですから、故人を導く儀式の本尊として適格。
お不動さんはじめ、明王と呼ばれる仏さまは憤怒の姿をしていますが、
これは煩悩が強く強情な相手でも、慈悲の怒り(の力)で悟りへ導く姿です。
お不動さんが右手に持っている剣は、煩悩障と所知障のふたつを断ち切ります。
僕らが覚りを開けない、ブッダになれないのは、このふたつがあるからです。
煩悩障は我々自身の行為の誤り、道徳的欠陥。
所知障は客観的認識のあやまり。正しい教えを聞いても実践できないという欠点。
これを智慧の剣で断ち切ります。
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