最近の葬儀は、
お導師さんも参列者もイスに坐って拝むことが多い。
寺の本堂は多くが畳敷きだけれど、イスを置いている寺が多い。
法事も修行のひとつですから、ちゃんと正坐してください、
と参列者に注意するお坊さんもいる。
でも、僕は時によって、
お楽にしてください、足は崩して良いですよ、
などと言ってしまう。
僕自身は正坐したほうが拝みやすいし、イスより安楽だし、
姿も美しいと思っているけれど。
法事が修行であるというのは正しく、
何よりも仏教は修行の宗教で、
寺は修行するところ。
だから、
法事が修行でなければ、寺はただの斎場になる。
修行は成仏のためにある。
成仏とは仏になることで、
それは悟ること、
悟りとは自分の心を知ること、
自分の心とは仏の象徴である。
成仏のことを、菩提とか、智とか道とか覚などとも云う。
迷いを転じて悟り、
人格を完成し、
物心の根源を知ることであり、
簡単に云えば、
自他ともに、しあわせな人生をめざすこと。
『即身成仏義』では
即身と成仏を別々に説明している。
即身とは、
自身だけではなく、存在世界すべてであり、
それは、真理の象徴である。
成仏は、
一切を如実に覚知する智慧、
智慧とは、
決断し、選びとること。
即身と成仏は、
三密行という修行によって結びつく、
と説かれている。
僕らがいるこの世界の真実は、
修行を通して、
価値ある世界になる。
その時、
僕らはただ存在しているのではなく、意味があることを理解し、
その瞬間、
一切の苦悩が消える。
自分らは本来仏であるけれど、事実としては成仏していない。
即身成仏は、
この身のままで仏になる
などという簡単なことではなく、
僕らは悟りの可能性を持っている、
もともと大きくて素晴らしい存在である
ゆへに、他を救いしあわせにできる、
ことを、修行を通してこの心身に実現させること。
まずは、
自分はだめな人間と思わないこと、
修行(努力工夫勉強トレーニング)すれば、
必ず人間の成長があると信じること、
日々の表情に注意し、
言葉を選んで、
やさしさと思いやりを実践すること。
法事も何もかもが、
それらの練習になります。
※望診法講座のおしらせ
2018年1月14日(日)横浜市「Umiのいえ」
https:/ /coubic .com/wa nooteat e/26490 9
※年間祈祷ご案内
http:// shinten an.syoy u.net/% E7%9C%9 E%E5%A4 %A9%E5% BA%B5%E 4%BB%8F %E6%95% 99%E5%A 1%BE%E3 %83%BB% E5%AF%8 6%E6%95 %99%E5% A1%BE/% E5%B9%B 4%E9%96 %93%E7% A5%88%E 7%A5%B7 %E3%81% AE%E3%8 1%94%E6 %A1%88% E5%86%8 5
※精進おせちのレシピ ご案内
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※食養相談・健康相談の「穀菜食の舎」ご案内
http:// shinten an.syoy u.net/% E7%B1%B 3%E3%81 %9E%E3% 81%86%E 3%81%AE %E5%AE% B6/%E3% 81%94%E 6%A1%88 %E5%86% 85
お導師さんも参列者もイスに坐って拝むことが多い。
寺の本堂は多くが畳敷きだけれど、イスを置いている寺が多い。
法事も修行のひとつですから、ちゃんと正坐してください、
と参列者に注意するお坊さんもいる。
でも、僕は時によって、
お楽にしてください、足は崩して良いですよ、
などと言ってしまう。
僕自身は正坐したほうが拝みやすいし、イスより安楽だし、
姿も美しいと思っているけれど。
法事が修行であるというのは正しく、
何よりも仏教は修行の宗教で、
寺は修行するところ。
だから、
法事が修行でなければ、寺はただの斎場になる。
修行は成仏のためにある。
成仏とは仏になることで、
それは悟ること、
悟りとは自分の心を知ること、
自分の心とは仏の象徴である。
成仏のことを、菩提とか、智とか道とか覚などとも云う。
迷いを転じて悟り、
人格を完成し、
物心の根源を知ることであり、
簡単に云えば、
自他ともに、しあわせな人生をめざすこと。
『即身成仏義』では
即身と成仏を別々に説明している。
即身とは、
自身だけではなく、存在世界すべてであり、
それは、真理の象徴である。
成仏は、
一切を如実に覚知する智慧、
智慧とは、
決断し、選びとること。
即身と成仏は、
三密行という修行によって結びつく、
と説かれている。
僕らがいるこの世界の真実は、
修行を通して、
価値ある世界になる。
その時、
僕らはただ存在しているのではなく、意味があることを理解し、
その瞬間、
一切の苦悩が消える。
自分らは本来仏であるけれど、事実としては成仏していない。
即身成仏は、
この身のままで仏になる
などという簡単なことではなく、
僕らは悟りの可能性を持っている、
もともと大きくて素晴らしい存在である
ゆへに、他を救いしあわせにできる、
ことを、修行を通してこの心身に実現させること。
まずは、
自分はだめな人間と思わないこと、
修行(努力工夫勉強トレーニング)すれば、
必ず人間の成長があると信じること、
日々の表情に注意し、
言葉を選んで、
やさしさと思いやりを実践すること。
法事も何もかもが、
それらの練習になります。
※望診法講座のおしらせ
2018年1月14日(日)横浜市「Umiのいえ」
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