仏さまとは我が本心のことですが、それは迷いの霧に包まれて見えないことが多いものでございます。
さて、
仏教は修行の宗教であり、その修行方法には、
・ひとり静かに本尊を前にして瞑想する。
・普段の生活の中で、常に仏を見るようにする。
のふたつがあります。
仏教修行の基本は瞑想行ですが、これにも、
・堂内室内で仏さまとただ二人っきり。その仏を凝視して心を集中させるようなもの。
・世間のどこでも、いつでも仏をみるようにするもの 。
のふたつがあります。
ですから、
お仏壇の前や道場で、心静かにひとりで拝む
食事中、移動中、トレイ、お風呂、生活している時間いつでもどこでも拝む
というふたつを行うのがよろしい。
そのためにはまず、身の回りを調え、身体を調えるといい。
修行で目指すものは心浄ですが、それには身浄が前提です。
ですから、身の回り、食事などの生活を調えることはとても大切です。身体と心は一如ですから、身体を作る食べ物に工夫があるのは当然です。
泥棒をしながら拝むこともできますが、不徳から離れたほうが本物の祈りになります。そうでないと乱れ、濁る。
仏を含め、自然界のさまざまの力は、こちらが非力でも手を差し伸べてくれ、不心得な者も助けますが、
名医がいても養生すべく、仏の力が大きくても折り目正しく生きるべきです。
人には知ると知らざるとに関わらず、悩みや不幸が起こる必然が「生きる」ということの中に内在しています。
ですから、
その原因を自心を知ることでたどり、解決することができます。
『大日経』には 、
菩提心(迷いから目覚める心)を原因として
すべてに対する慈悲を根として
実際的な修行方法を以って、人間として果たすべき最高の行為とする。
とあります。
おなじく『大日経』第六受方便学處品には
父母妻子眷属に囲まれて、天人の妙楽を受けながら何らの支障も無く密教生活をする。
その時に直面することにはそれを生かし、それに取り巻く人と協力し、持ちつ持たれつ、よりかかり助けて、その場を生かして生活する。
と生活しながらの修行が書かれています。
眞天庵版「仏前勤行次第 仏さまの拝みかた(食時作法、初心者用瞑想法附」)
ホームページ:
http:// shinten an.hana gasumi. net/
http://shintenan.hanagasumi.net/%E5%8B%A4%E8%A1%8C%E6%AC%A1%E7%AC%AC.pdf
に載せました。どうぞご利用ください。
さて、
仏教は修行の宗教であり、その修行方法には、
・ひとり静かに本尊を前にして瞑想する。
・普段の生活の中で、常に仏を見るようにする。
のふたつがあります。
仏教修行の基本は瞑想行ですが、これにも、
・堂内室内で仏さまとただ二人っきり。その仏を凝視して心を集中させるようなもの。
・世間のどこでも、いつでも仏をみるようにするもの 。
のふたつがあります。
ですから、
お仏壇の前や道場で、心静かにひとりで拝む
食事中、移動中、トレイ、お風呂、生活している時間いつでもどこでも拝む
というふたつを行うのがよろしい。
そのためにはまず、身の回りを調え、身体を調えるといい。
修行で目指すものは心浄ですが、それには身浄が前提です。
ですから、身の回り、食事などの生活を調えることはとても大切です。身体と心は一如ですから、身体を作る食べ物に工夫があるのは当然です。
泥棒をしながら拝むこともできますが、不徳から離れたほうが本物の祈りになります。そうでないと乱れ、濁る。
仏を含め、自然界のさまざまの力は、こちらが非力でも手を差し伸べてくれ、不心得な者も助けますが、
名医がいても養生すべく、仏の力が大きくても折り目正しく生きるべきです。
人には知ると知らざるとに関わらず、悩みや不幸が起こる必然が「生きる」ということの中に内在しています。
ですから、
その原因を自心を知ることでたどり、解決することができます。
『大日経』には 、
菩提心(迷いから目覚める心)を原因として
すべてに対する慈悲を根として
実際的な修行方法を以って、人間として果たすべき最高の行為とする。
とあります。
おなじく『大日経』第六受方便学處品には
父母妻子眷属に囲まれて、天人の妙楽を受けながら何らの支障も無く密教生活をする。
その時に直面することにはそれを生かし、それに取り巻く人と協力し、持ちつ持たれつ、よりかかり助けて、その場を生かして生活する。
と生活しながらの修行が書かれています。
眞天庵版「仏前勤行次第 仏さまの拝みかた(食時作法、初心者用瞑想法附」)
ホームページ:
http://
http://shintenan.hanagasumi.net/%E5%8B%A4%E8%A1%8C%E6%AC%A1%E7%AC%AC.pdf
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