良いゴボウが手に入ればすり下ろし、いろいろ混ぜて揚げる。
お通じにとてもよろしい。
ゴボウは浄土の味がする 。
その浄土には二種類あります。
往生する浄土と、荘厳する浄土。
前者は、お薬師さんの東方浄瑠璃世界や阿弥陀さんの西方極楽世界など、
将来生まれようとする世界 。
後者は、
心が清まり調えば、現在の世界も清まり調う「今、ここ」にある浄土。
仏教徒の目的は成仏、悟りですので、浄土は仏の世界、悟りの世界。
それが遠くにあるか、近くにあるか
自分の外側にあるか、内側にあるのか。
いずれにしても、浄土に行く、今ここを浄土にする、浄土に成る
には、ぼーっと待っているだけではダメで、信心と修行が必要。
信心とは、
心が混じりけ無く、清らかであるかどうかを自省すること。
『倶舎論』には、
信は心をして澄浄ならしむ
とある。
修行は、
身体と言葉と心を、仏のようにしようと努力すること
他の人に利益になるように拝み、生活を工夫すること。
それができないと、
現世は苦悩の世界で、思い通りに行かない、矛盾に満ちた世界になり、
できれば、
光り輝く明るい浄土になる。
『菩提心論』には
「本から心の中にある清浄な世界へ戻れば、そこが密厳浄土である」
信心と修行により、仏との交流を体験すれば、そこが浄土になる、ということ。
また、
「地獄に堕ちるも浄土に遊ぶも心次第。もし、清浄で迷いの無い本心に常に住することができれば、そこが浄土」(『性霊集』巻八)
とある。
仏の見かたをすれば、今すぐにそこは浄土となり、僕らにはその素質があります。
そして、
十方にある往生する浄土は、荘厳する浄土の一部。
お通じにとてもよろしい。
ゴボウは浄土の味がする 。
その浄土には二種類あります。
往生する浄土と、荘厳する浄土。
前者は、お薬師さんの東方浄瑠璃世界や阿弥陀さんの西方極楽世界など、
将来生まれようとする世界 。
後者は、
心が清まり調えば、現在の世界も清まり調う「今、ここ」にある浄土。
仏教徒の目的は成仏、悟りですので、浄土は仏の世界、悟りの世界。
それが遠くにあるか、近くにあるか
自分の外側にあるか、内側にあるのか。
いずれにしても、浄土に行く、今ここを浄土にする、浄土に成る
には、ぼーっと待っているだけではダメで、信心と修行が必要。
信心とは、
心が混じりけ無く、清らかであるかどうかを自省すること。
『倶舎論』には、
信は心をして澄浄ならしむ
とある。
修行は、
身体と言葉と心を、仏のようにしようと努力すること
他の人に利益になるように拝み、生活を工夫すること。
それができないと、
現世は苦悩の世界で、思い通りに行かない、矛盾に満ちた世界になり、
できれば、
光り輝く明るい浄土になる。
『菩提心論』には
「本から心の中にある清浄な世界へ戻れば、そこが密厳浄土である」
信心と修行により、仏との交流を体験すれば、そこが浄土になる、ということ。
また、
「地獄に堕ちるも浄土に遊ぶも心次第。もし、清浄で迷いの無い本心に常に住することができれば、そこが浄土」(『性霊集』巻八)
とある。
仏の見かたをすれば、今すぐにそこは浄土となり、僕らにはその素質があります。
そして、
十方にある往生する浄土は、荘厳する浄土の一部。
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